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謄写版(ガリ版)の思い出 その2

→前記事 「謄写版(ガリ版)の思い出」 の続きです。

中学生になると、しばらく謄写版とは縁がなくなりました。

3年生の時、私はとても楽しいクラスにいたので、その思い出をノートにまとめていました。
筒井康隆さんの『乱調文学大辞典』の形式で、辞書のような項目をたてて、それへの解説を書いたもの。
たとえば、「世論」は、「よろん」か「せろん」かでクラスでもめた、とか、電流計を実験中に先生が壊した、とかそんなことを、1年分、365項目作りました。

卒業する前に、私はこれを冊子にしてクラスのみんなに配りたいと思いました。
でも、当時、コピーはとても高価で、私の手に負えるしろものではありませんでした。
B4が1枚40円だったかで、縮小などの技も使えず、
妹の友人が書いたマンガをコピーさせてもらうことにしたら、千円近くかかってもう大変だったのを覚えています。

なので、私はここはガリ版しかないと思い、母に頼んでガリ版用品を買ってもらいました。
ここで、学校の先生に頼むという発想がなぜないのかと思いますが、
どうも、私的なことで学校のものを借りるのはいけないことだと思っていたようです。
(いまだに、借りるより買うほうが多い私です。)

謄写版(木箱入り) インクローラー インク板 インク1缶
ヤスリ板 鉄筆セット 修正液
押し切りカッター、卓上ホッチキス、
ロウ原紙1箱 ザラ紙1〆

…いくら廉価な印刷ができるといっても、この設備投資はないだろうと思います 
もっと安いものでもよかったのですが(箱なし謄写版とか、鉄筆一本とか)、ひょっとしたら、謄写版などが衰退しはじめて、普及品のようなものが減っていたのかもしれません。
別に高級品を選んだわけではなく、店にそれしか売っていなかったのだもの。
それでも、買いに行けば取り寄せでなくても置いてある、そういう商品でした。
謝りながら買ってもらった覚えがありますが、母が駄目だと一言も言わなかったのは、
卒業の思い出の冊子を作りたいという目的だったからでしょうか。

しかし、押し切りカッターや卓上ホッチキスが入っているあたり、なまじ、製本作業の経験があるだけに、こういう道具を知っていたようです。
実際は代用がきくものなのですけどね。
ただ、当時のホッチキスは今のようにたくさんの枚数を綴じる性能はなかったので、普通のホッチキスで製本は無理だったかも。
(しかし、糸で綴じる製本も6年生で体験済み。昔の子どもってこれだから…)

それで私は、夜はガリ版を切って、印刷をしました。
新しい謄写版は、用紙を真ん中に置いて刷った紙を1枚ずつ横に移動させるのではなく、手前の部分にはさんで固定して、一枚ずつ手前にめくって印刷する方式でした。

イラストを入れたかったので、絵の上手な友達を家に呼んで、表紙の絵などを描いてもらいました(ガリ版はどちらが切ったか覚えていませんが)。
これなど、今の同人誌の作り方とかわらないですよね。
…もっと後の時代に生まれていたら、同人誌を作ってコミケに出ていたかも 笑

残念ながら時間のなかった悲しさ、全部をガリ版で切ることはできませんでした。
それでも、一部ながら、印刷物を切って、B6サイズに折って、ホッチキスでとめて、冊子はできあがり、卒業のときに配ることができました。
『ずれずれ草』という名前で、字体の関係で「『ずんずんそう』って何?」なんて言われたしろものでしたが、大変自己満足できました。

しかし、マイ謄写版そのものを使ったのは、これが最初で最後なんですよね 滝汗
なんてもったいない! 状態でしまってあります。
押し切りカッターだの、卓上ホッチキスだのは一般文具ですからその後も活用してますが。

大学生になると、寮の印刷物はガリ版だし、授業の発表用の資料も自分でガリ版で作るというので、鉄筆は活用しました。(画像は後日)
(ここで、初めて輪転機を使い、文明的だと思ったものです 笑)

ガリ板の使い方とか壁新聞の作り方などは、授業そのものでなく課外活動で身に付けたものですが、きっと何かあったときに、自分の言いたいことを伝える、そういう力になっていると思います。
電気が来なくて、ネットもパソコンも使えなくなっても、きっとそこにあるもので、なんとか発信しようと思うだろうし、できると思う。
デジタルだけでなくアナログの情報発信を身に付けた旧世代の、そこが強みかな、と思います。
(それにしても、非常時にそなえて、ロウ原紙は確保しておいたほうがいいのかも。)

【謄写版用品を扱っているお店・作っている会社】

 文具の坂田雅光堂(レトロ文具資料館を開いているお店です)

 カツベ文具店(リンク先はブログの記事です。お店や問い合わせはそこから行けます)

 大島工業(ヤスリを扱う。下の2社の紹介あり)

 昭和紙工(ガリ版用紙「5mm方眼」と「無地」のロウ原紙の用紙を生産)
   〒501-3744  岐阜県美濃市段109-3
   TEL:0575-35-1622 FAX:0575-33-3777

 大東化工(ボールペン原紙を製造)
   〒501-1132   岐阜県岐阜市折立364-1
   TEL 058-239-1333  FAX 058-234-0056 

 

 

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コメント

ずいぶんと本格的な買い物になりましたね(すごい)。
自分は、個人的になにかをつくって配った、ということはないなぁ…。
コインコピーは(コンビニではなく、ふつうの会社がほとんどだったけど)、やっとちらほら見かけるようになったころでしたが、1枚いくらだったのか、使ったことはないのでわかりません。
そういえば、複写と呼べるのかどうかはわかりませんが、カーボン紙で何枚も同じものを作った経験ならちょっとはありますね。

***

国が法律などを載せる「官報」というものがあるのですが、関東大震災で印刷機が使えなくなったとき、ガリ版で(当然手書き)印刷したという記録があります。どんなときにでも発行を止めてはならない、という強い考えがあったのですね。

投稿: 早瀬かをる | 2007年7月23日 (月) 21時33分

早瀬かをるさん、こちらにもコメントありがとうございます(^^)
どうも、道具や材料を十分にそろえないと始められないってのはこのころからの習性で(汗)、最近ようやく代用品とかを考えられるようになった気がします。
1枚40円のコピーは、コインコピーではなく、文具店でお金を払ってとってもらうコピーです。しかし、枚数が多かったので、結局最後の方は自分でコピーさせてもらったような気が。関係ないけど野球のマンガでした。すごく上手だと思ったので、どうしても自分の家にも置きたかったのよね。
そういう欲求から、人は、人の物語を書き写したり、絵を模写したりして、やがては印刷の発明で、より多くの人の願いにこたえられるようになったのだろうと思います。
今は当たり前のように大量の印刷物やネットの情報があるので、自分もそのあたりを忘れてしまうのですけど。

しかし、10円コピーが普及してからも、県立図書館のコピー代が1枚40円だったのには参りました。絶版本だし、借りられないし、図書館は遠くて簡単に来られないし、その本は資料として必要だしで、あれは貧乏学生には辛かったです。(今ならネット検索で本そのものを探している。)

カーボン紙の複写は楽しかったです。何かでカーボン紙が使われていると、ボールペンで上から書いて遊びました♪ 文章より絵かな、こちらは。
私は筆圧が弱いので、送り状のような多枚数の複写は苦手です。…まとまってなくてすみません。

投稿: けふこ | 2007年7月23日 (月) 22時16分

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