シリーズ:筆箱事情調査

明治3年の鉛筆の呼び名 ~筆箱事情調査 番外~

『はじめて学ぶ日本の絵本史Ⅰ』(鳥越信/ミネルヴァ書房)を読んでいたら、子ども向け絵本の草創期(明治初期)の本として『絵入智慧の環』という本が紹介されていました。
1870年~1872年(明治3年~5年)に発行された全8巻のうち、絵本と呼べるものは『初編上 詞の巻』『初編下 詞の巻』の2冊、いろはの文字とそれにつながる言葉で描かれた絵(例:「い」なら、ひらがなの「いぬ」 漢字の「犬」 「犬の絵」が1ますに書いてある)、簡単な文とそれにあった絵などでできているとのこと。
私の目をひいたのは、次の部分でした。

下巻の内容も似たような構成だが、(中略)一五ページにわたる「わたりもののなよせ」すなわち「外来品の名寄せ」として、「蒸気船」「自転車」「大砲」等々、欧米の先進的科学技術が生みだした物や、「せびろ」「ずぼん」といった日用品などを、絵で示しながらその名称を教えようとしている(図序-4)。
 
     

同書8ページより

図版に「たもと時計(懐中時計)」「寒暖計」「双眼鏡」「かけ時計」「望遠鏡」「晴雨計」がのっているページが出ていました。

外来品の名前が出ていて、子ども向きの本なら、筆箱はないまでも文具はあるだろうかと、『絵入智慧の環』の初編2冊を取り寄せてみました。(復刻版はないようなので、古書)

「わたりもののなよせ」のページで、文具のページは以下のようでした。
Photo_2


出ている絵は、ペン、鉛筆、石板、石筆の4種類。

ペンは確かに「ペン」と書いてありますが、鉛筆は「ペンシル」でない語が先に書いてあります。
しかも苦手な変体仮名で。

たぶん、聞いたことがないけれど「ぽっとろおど」であろうと思います。
なので、解説の文は「ぽっとろおど また ぺんしる とも いふ 石筆といふ ハ くろし」でしょうか。
(自信がないので、詳しい方教えてください)
追記:これは「石筆といふハ『くろし』ではなく、『わろし』と読むことがわかりました。※後述

鉛筆が「ポットロード」と呼ばれ、しかも「ペンシル」より先にくるなんて不思議でした。
頼みの『日本国語大辞典』が今使えないので(足のけがをしているため、置いてある場所に行くのが困難)、普通に「鉛筆」をネットで検索しても、この語は出ない。
適当な綴りではネットでヒットせず、カタカナ「ポットロード」で検索したら…これはオランダ語の「鉛筆」だったんですね。
オランダ語の可能性は考えていましたが、単純にカタカナ検索でよかったのでした。
つづりは、「potlood」でした。

おそらく、蘭学で先にオランダ語の単語が入り、後から英語が入ってきたためにこうなっているのでしょう。

ただ、「石筆と言ふハ黒し」がよくわからない。
日本の石筆は白ですが、ヨーロッパに黒い石筆はあったので、輸入物しかなかった時代なら「黒いものが石筆」という概念だったのでしょうか。
ものの名前や文字を覚える本ですから、まだ珍しいものである「ポットロード」と「スレイトペンシル」の違いがわかるようにとの配慮だと思いますが、鉛筆だって黒く書けるのになあと、ちょっと特徴を表すのには不適切な気もします。
この『絵入智慧の環』の絵つきの名称で、別名が「~ともいふ」のような書き方はいくつもありますが、こういう解説は他にないのです。
作者にもまだなじみがないものだったのかも。

便宜上「鉛筆」と書いていますが、ここには「鉛筆」という語は登場していません。
なので、明治3年(1870年)の鉛筆の呼び名は、「ポットロード」か「ペンシル」ということでしょう。

図版の鉛筆の軸の文字は、不鮮明ですが「EACLEN」の後に「S」の鏡文字と、「2」が書いてあるようです。

   ☆

以前、このブログでとりあげた、明治時代の絵入り英語エキスト『世界商売往来』はシリーズがあって、『続世界商売往来』(明治5年 1872年)には、

Lead-pencil(リードペヌシル)  【訳】 鉛筆(ホットロート)

とあり、図版は、2ダースくらい紙で丸く束ねられたものとばらの鉛筆1本となっています。

Steelpen(スチールペヌ)  【訳】 銅筆 アカガネフデ

のように、ペンは「フデ」と訳しているのに、漢字は「鉛筆」でも、読みが「ナマリフデ」「エンピツ」ではなく「ホットロート」となっているあたり、鉛筆は鎖国のオランダ語時代に既に日本に入っていて、「ホットロート ポットロード ポットロート」などで通用していたのかもと思います。

ただ、『続々世界商売往来』(明治6年 1873年)では、職業の一覧の中に、

Pencil-maker(ペヌシル メーカル) 【訳】 筆匠(フデシ)

という記載もあり、この場合は ペンシル=筆 です。
そのほうが本の使用者にはイメージしやすかったのかもしれません。

 「石筆といふは わろし」の読みが出ていたのは、『明治事物起源』(石井研堂)です。
この本に行きついたきっかけと、ポットロード等の詳しい内容は、また別に書きたいと思います。

 

【参考資料】

世界商売往来用語索引 (飛田良文 村山昌俊/武蔵野書院) … 『世界商売往来』シリーズの用語索引ですが、原本の複製もついているので、元の絵や表記が楽しめます。

変体仮名とその覚え方(板倉聖宣/仮説社) … 良く使われる変体仮名を整理し、特徴をわかりやすく説明している。明治17年の「讀方入門」の教科書の複製つき。

【このブログの関連記事】

→ 明治6年の英語テキスト『世界商売往来』のpencase ~筆箱事情調査シリーズ~ …今回も使った『世界商売往来』の中の筆入について書いています。

→ カテゴリー:筆箱事情調査  … 筆箱がどこで生まれたのかを調べているシリーズですが、筆箱が出てこないこともあります。

シリーズ最初の記事は、
→ 明治の舶来木製筆箱の図版 ~明治43年『伊東屋営業品目録』より~ その3  へ

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シャーロック・ホームズ「三人の学生」の鉛筆とナイフはどう収納されたか? ~筆箱事情調査シリーズ~

☆注意☆ 推理小説のネタバレあります。

シャーロック・ホームズシリーズの短編「三人の学生」の話の舞台は、1895年(明治28年)のイギリスのある大学町。
奨学金の試験問題の校正刷りが、何者かに読まれ、書き写されたと思われる事件が起きました。
ホームズは、残されていた鉛筆の削り屑から、犯人は「普通サイズより大きく、柔らかい芯、外側の色は紺、メーカーの名は銀色に印字され、残っている部分の長さは一インチ半ほどしかない」Johann Faberの鉛筆「非常になまくらなナイフを持っている」と推理します。
奨学金の試験を受けることになっていた3人の寮生に対し、いくつかの確認作業を経て、翌日、犯人は特定されます。
このころの、Johann Faberの鉛筆がよく知られたものであり、しかし取り寄せしないと文具店に在庫していないとか、なかなか興味深いエピソードもあります。
(話の全文は、三人の学生 に掲載。Johann faber は全然詳しくないのでごめんなさい。)

筆箱調査をしていた私がこの話を見つけて疑問に思ったことは「彼はどうやって鉛筆とナイフと紙を持ち歩いていたのか」でした。
いたずら小僧のトム・ソーヤだったら、鉛筆もナイフもポケットにつっこんでおきそうですが、この話の学生は大学生です。
しかも、(ネタバレです)
走り幅跳びの練習の後に、運動靴を持って帰って来た状態です。
寮生なら、授業の後の練習でも、本や筆記用具などの学習道具は寮に戻って置いて、運動のできる服装に着替えてから練習に行くように思います。
運動するのに筆箱を持っているのも変だし、かといって、ポケットにむき出してナイフと鉛筆では運動するのに危険でしょう。
講義が終わってからバッグにそれらを入れて運動に行き、そちらの更衣室で着替えて帰ってきたのなら何の問題もないことだし、きっと、シャーロキアンだったら解決済みの案件なんでしょうが、犯人よりもそちらが気になってしかたがありませんでした。

別のものを探していて、明治43年(1910年)『伊東屋営業品目録』を見直していたら、見落としていた文具を見つけました。
それはヒースというものです。(綴りがわかりません)
英語は「SAFETY LEATHER POCKTS FOR FOUNTAINPEN PENCIL AND KNIFE」です。
Photo
平らな革に、3~5本の複数のペン挿しがついているのが基本形。
これに、蓋のようなカバーする部分がついて二つ折りになったもの、メモのついたものなどがあって、中央の「絞革製 手帳附二ツ折ヒース」の図にはナイフが挿されているのです。

鉛筆ハ何処ニ ナイフハ何処ニト 一々探ス不便ヲ防グニ用ヒテ 最モ高雅ニシテ便利ナルモノナリ

この形は舶来ではないのですが、舶来製のものも、二つ折りになっていてペン以外のものも入りそうな形をしていて、これならさほど邪魔にもならず鉛筆とナイフを携帯できると思いました。
メモ用紙もついていれば紙も持ち歩けるし、鉛筆をたくさん挿せないので、折れたらナイフで削ると言うのも大人仕様で納得。
長い鉛筆には向きませんが、1インチ半(3cm8mm)なら問題なく入ります。
むしろ、長いタイプの鉛筆だったら入れられないでしょう。
こういうケースに入れていたなら、無理なく携帯できると思います。

…なーんて、この学生がバッグを持っていたなら全然的はずれの推理ですが。

この話自体は何の証拠にもなりませんが、明治43年(1910年)に、ヒースが「舶来」として存在するとなると、「鉛筆を含む筆記用具の携帯」が「日本独自」とはますます言えなくなると思います。

万年筆1本用のケースや、マッコウクジラナイフ用の革ケースなどはありますが、今はあまりこの形の文具は見かけない気がします。
伊東屋オリジナルで復刻してくれたらいいのになあと思うくらい、私には好みの形です。

【このブログの関連記事】

→ 伊東屋の営業精神 ~明治43年『伊東屋営業品目録より~ その1

→ 伊東屋の営業精神 ~明治43年『伊東屋営業品目録より~ その2

→ カテゴリー シリーズ:筆箱事情調査

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トンボ鉛筆の広告の筆箱と、手作り筆入れ(昭和9) ~筆箱事情調査~

昭和9年(1934年)の『少女倶楽部』の付録、『少女新手藝ブック』を入手しました。
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ページを開けたら、表紙裏に トンボ鉛筆 と 三星ゑのぐ の広告が出ていました。
こういう偶然はうれしいものです。
トンボ鉛筆の会社名は「小川トンボ鉛筆製作所」となっています。
「筆記用にはHB印、F印、H印、図画用にはB印から6B印、製図用には2H印から6H印までのトンボ鉛筆が適して居ります。」と、当時から鉛筆の濃さにはたくさんの段階があったことがわかります。
Photo
トンボ鉛筆は、セーラー服の女学生が机に向かって、ノートに鉛筆で横書きに何かを書いている絵で、その横に筆箱の絵があります。
これは、半開きの薄い缶ペンケースのようで、蓋に「TOMBOW」のロゴとトンボマークがついているのが確認できます。
Photo_3

缶ペンケースというより、缶に鉛筆を入れて売っていて、買った人はそれを筆箱にしていたのではないかと推測します。
缶入り鉛筆がいつごろ多かったのかは私にはわかりませんが、いろいろな本を見ると、国産でもヨット鉛筆やキリン鉛筆など、いろいろなメーカーから缶入り鉛筆が出ていたようです。
戦争で金属供出が行われるよりも前のものだと思います。
鉄鋼の配給規制や金属の回収が行われるようになったのが1937年、金属回収令でおもちゃから何からみんな回収されるようになったのが1941年ですから、この冊子の時代は、まだ統制が特になかったと思われます。
雑誌自体も、キューピーやベティちゃんが出てきたり(どちらも流行するのはこれよりも後)、カラーページが豊富だったりと、鬼畜米英時代とは異なります。

この冊子は、当時のいろいろな手芸の作り方を紹介していて、材料セットの通販も行っていました。
Photo_4Photo_5


その中に、「ばら模様の筆入」がありました。
細長く切った布に刺繍をして、ブランケットステッチでかがり、端を折り曲げてスナップ留めにしています。

たまたまですが、このページの女の子も机で勉強しています。
Photo_6

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横には、身と蓋が分かれる黄色の筆箱があり、中に消しゴムらしい白いものが見えます。
箱の素材が厚く、角がはっきりしている感じなので、セルロイドではなく、木製か厚紙製かと思いますがどうでしょうか。
持っている鉛筆は小豆色に近い、赤っぽい色あいです。

別のページには、「クロスステッチの五角形筆立」もあります。
Photo_8

これは作り方の記事がなくて、製品と材料と両方販売しています。
材料なら製品の半額ですが、実際はこの本を見て、手持ちの材料で考えて作る場合が多かったのではないかと思います。
この筆立てには、トンボ鉛筆風の黄緑の鉛筆にクリップがついたようなものが入っていますが、通常の鉛筆ホルダー(例えばパーフェクトペンシル)とクリップの向きが逆のような気がします。
胸に挿すような場合は、さらに鉛筆キャップをしたのかもしれません。
Photo_9

手前の灰色のものは丸ペンのように見えますが、奥の赤い筆記用具?は何かわかりません。
その割に赤くて派手で存在感があります。

昭和9年(1934年)頃の女学生の筆箱事情

・鉛筆の入っていた金属の缶の利用、布製のホック留めのもの、箱型で身と蓋に分かれるものは存在した。
・布製のものは手作りされる場合もあった。

参考資料:『近代子ども史年表1926‐2000 昭和・平成編』

この本によると、キューピー人形の全盛期は昭和11年(1936年)、ベティちゃんの「子どもシール」は一銭玩具ブームの昭和10年(1935年)となっていて、少女倶楽部は流行を一歩先取りしていたか、流行の種をまいたかではないかと思います。
この本の年表は、多岐にわたる資料を参考に構成されていて、歴史的な事件の「社会」の項目のほかに、「家庭・健康」「学校・教育」「文化・レジャー」に関する制度や流行などを写真入りでたくさん載せています。『子ども史』『家庭史』があり、ともに、明治・大正編があります。

【このブログの筆箱関連記事】

→ カテゴリー シリーズ:筆箱事情調査 … 筆箱がいつごろ、どこで生まれたのかを調べています。資料を集めていますが、筆箱以外のもののほうが見つかったりして…
   

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『文房具事典』(ステレオサウンド)の葦ペン入れの記事 ~筆箱事情調査シリーズ~

今日買ってきた文具のことを調べようと思って、過去の文具ムックなどを探していたら、『文房具辞典』(STEREO SOUND 別冊 S.58.5.31発行)の中に、見落としていた葦ペン関係の記事があることに気づきました。
「歴史の中に失われたペンをさがす 葦ペンから金属ペンまでの5000年」という記事で、末尾に 鞍井場希美子 と署名があります。

ここには、以前の記事「Calamarium 葦ペンを入れるケース」で紹介した、パレット型の葦ペン入れが写真入りで出ているのですが、そこの説明で、

パレットは、長さが20~43cm、幅が5~9cmくらいで、象牙、石、木などで作られた。中央は筆を置くためにくぼんでいた。パレットは書記のシンボルだった。時代がくだると、スライドするふたがついたような凝ったパレットも使われた。

    同書P.126より

と、スライド蓋のついたパレット(なので、筆筒タイプではなさそう)があったらしいことがうかがえます。
残念ながら、この画像が出ていないのですが、ますます筆箱の形状に近くなっている気がします。

さらに、その続きの記事で、紀元前3世紀ころ、それまで葦の先を噛み砕いてパレットのインクをつけていたのが、ペン先を削った葦ペンが現れ、インクびんが使われるようになったそうで、ギリシア詞華集(プトレマイオス朝初期~紀元6世紀)の中の筆記用具にまつわるエピグラムに、次のようなものがあるとのこと。

まっすぐな定規にあてて進みながら、正確に道を引く鉛の円盤
あしをかむ鋼鉄の硬い刃
それから行が混乱するのを防ぎ、行を導く定規そのもの
長い間書いたためにすり減ったあしのふたつの先端を研ぐざらざらした石
深海では 海の旅行家トリトンの寝床に役立つだろうが 今はペンの間違いを直す海綿
そしてすべてを保存するいくつかの穴のあいた箱
インクと共に書くための道具全部
これをカリメネスがヘルメスに奉納する
たくさんの仕事をした後、老いに震える手を暇に戻して

 同書 P.127~128 より

この後、「鉛の円盤」がいわゆる「鉛筆」であるなどの解説があるのですが、「箱」については記述がありません。
穴のあいた箱…インク瓶を入れるためでしょうか?
この筆記用具入れは、携帯用ではなく机上用であったかもしれませんが、どんな箱だったのか知りたいと思います。

【このブログの関連記事】

→ カテゴリー 筆箱事情調査 …欧米の子どもは筆箱を持っていない? 筆箱の起源は日本って本当? と調べ始めた筆箱の歴史。資料が増えている割に一向に進まないシリーズです。

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矢立の進化型「文具函」の謎 ~筆箱事情調査シリーズ~

今回は、『文具と共に六十年』(福田文太郎 白川書院 昭和39年)という本を取り上げます。
著者の福田氏は、京都の文適堂という文具店(現在は無い)のご店主で、リヒト産業株式会社の当時の社長、田中経人氏の『文具の歴史』の座談会に招かれ「業界の長老」と紹介されている方で、明治18年生まれで当時80歳、店も創業60年を迎えるにあたり、自分史と日本の文房具の変遷をまとめた本のようです。

この中に、文具函(ぶんぐばこ)という言葉が出てきました。
各種の文具の入ったお道具箱のような印象を受けますが、どうもそうではないようです。

文具函

 筆墨のみが筆記用具であった時代に、携帯用としては、腰にさす矢立があった。その矢立から進歩したのが、文具函である。筆函のようなもので、墨汁を浸しておく墨壺、毛筆、印判、印肉が入っていた。これもやがて万年筆が広く使われるようになり、姿を消した。
 四十三年の文適堂報には「旅行や集金になくては叶わぬ品なり、サック、ニッケル、黒塗、木製など種類が多数あり」と載せている。

同書 p91~92

これによると、文具函とは、

・矢立が進歩した携帯用の筆記用具(毛筆)入れ
・旅行や集金に用いる(ビジネス文具)
・筆箱に似ている
・墨壺、毛筆、印判、印肉を入れる
・サック(←?)、ニッケル、黒塗、木製など種類が豊富
・明治43年には多数あったが、万年筆の普及とともに姿を消す

偶然ですが、この明治43年は、伊東屋の通販カタログ『伊東屋営業目録』に舶来木製筆箱が載った年です。
(伊東屋営業品目録の筆箱については →過去記事 「明治の舶来木製筆箱の図版 ~明治43年『伊東屋営業品目録』より~ その3」 へ)

『文房具の歴史』(野沢松男)では、筆箱(本文では「筆入れ」)は、日本で生まれたと推測し、筆記用具を携帯する習慣として矢立と大福帳を例に挙げています。

しかし、この資料を見ると、

【文具函】           【筆箱】

矢立                     

                 イギリスに存在

↓                スイスで使用

明治43年 文具函隆盛   伊東屋舶来筆箱

(万年筆の普及)

↓                ↓                   

姿を消す           日本で大いに発達する

となります。
少なくとも、文房具を実際に販売していた福田氏からは、矢立の後継者は文具函→万年筆であり、筆箱とは思われていないようです。

矢立と万年筆を関連付ける考え方は『通俗文具発達史』(野口秀樹 紙工界社 昭和九)にも出ていて、こちらにも筆箱は登場しません。

矢立→万年筆が携帯用筆記具でビジネス文具(大人の趣味も含めて)であるのに対し、筆箱は学校用、子ども用として発達していくからかもしれません。
矢立と万年筆をつなぐミッシングリングの「文具函」、たくさんの種類があったようですが、私は雑誌で写真を一枚見つけたのみです。
文具函の説明(特許関係)は、『通俗文具発達史』でも見ることができます。
(この本は現在復刊されています。→ こと典百科叢書 第2巻 通俗文具発達史

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→ カテゴリー シリーズ:筆箱事情調査 筆箱の歴史を調べています。今回のように、順番が前後することもありますがお許しを。

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日葡辞書に存在する矢立 ~筆箱事情調査シリーズ~

『日葡辞書』(1603~1604年成立)は、当時の日本語をポルトガル語で説明した辞書です。
つまり、ここに出てくる言葉は、当時、日本語として存在していたということになります。

〔私の使ったのは『邦訳 日葡辞書』なので、ポルトガル語の部分は日本語訳されており、ポルトガル語はほとんど出ていません。〕

『日葡辞書』の中には、先にあげたように「筆箱」「筆筒」は見出し語として出てきませんが、「矢立」は登場します。(意味部分の原文はポルトガル語です)

Yatate ヤタテ(矢立) インク壷のペン立てに似ている,ペン(筆)をさし込む筒.

『邦訳 日葡辞書』(岩波書店) より

矢立には扇面型もあります(扇面型が一番古いタイプのようです)が、この形容だと筒がついているようです。
また、きっちりした訳語がポルトガル語にないので、ポルトガルには矢立に相当するものがないのだと思われますが、日本語訳されているので断言はできません。
「インク壷のペン立て」に相当するポルトガル語を知りたいものです。
「イスラム圏のデイヴィットに似ている」のような記述もないので、ポルトガルではデイビットは知られていなかったのかもしれないし、デイヴィット自体がまだなかったのかもしれません。 ※注

1603年頃の日本筆箱事情

・矢立が普及し、それは筒の中に筆を入れる形だった。

・筆箱、筆筒は存在しなかったとは言えないが、一般的な語になるほどではなかった。

『羅葡日対訳辞書』の方も見てみましたが、私の持っている『羅葡日対訳辞書 備考』の2冊には、日本語のローマ字アルファベット順の「T」までしか項目がありません。
少なくとも、日本語の表記なら頭文字が「U」「W」「Y」は必要だと思うので、これは索引が未完なのかもしれません(別に刊行されているのかも)。
なので、『羅葡日対訳辞書』に「Yatate」がのっているかどうかは、今のところ不明です。

※注 イスラム圏のデイヴィット(矢立)の正確な成立時期はまだ私にはわかっていません。(見つかったものは18~19世紀くらい)
ただ、先の記事イスラム文化圏の矢立と筆箱の中に出てくる「クルス(十字架)型の矢立」がオランダ人が日本で作らせたものと解釈されているのを見ると、江戸時代のものと考えられているように思います。
デイビットの名前はOttoman Divitのようで、この語で画像検索すると、イスラム圏の矢立がたくさん見つかります。

〔このブログの関連記事〕

→ カテゴリー シリーズ:筆箱事情調査 … 筆箱(筆入れ)の歴史を調べています。今は広げるだけ広げて、エジプトの「パレット」、ローマの「カラマリウム」、イスラムの「デイヴィット」、この後は日本の矢立になる予定ですが、早く学童用筆箱に行き着きたいものです。

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イスラム文化圏の矢立と筆箱 ~筆箱事情調査シリーズ~

葦(あし)ペン関係の資料を探して画像検索をしていたら、思いがけない画像が出てきました。
画像名は、イエメンの葦ペン なのですが、葦ペンだけではなく、金属製の容器がそばに写っていて…
矢立?」
金属の細長い筒に、開閉できる蓋のついた墨壷がくっついています。

矢立って、日本独自のものじゃなかったの?

何度も引き合いに出して申し訳ありませんが、『文房具の歴史』(文研社)の野沢松男氏は、筆入れを「どうやら誕生は日本のようだが」と考え、その理由として、日本では巻紙と筆を用いて机はなくても文字書きができるので、書く等具を携帯すれば事足りるというスタイル、その文化が筆入れを生んだと考え、その例として「矢立と大福帳」を挙げています。

でも、葦ペンを入れる「矢立」がここに存在するのなら?
厳密にいえば、日本の矢立では墨壷と筆の入る筒が直線上に並んでいますが、イスラムの「矢立」は筆筒の横側に墨壺がくっついた形をしています。
でも、両者は、見た目も機能も良く似ています。

イエメンの葦ペンの出ていたサイトは、写真でイスラーム で、写真も説明も豊富で大変参考になります。

★イエメンにもあるよインク壷とペン … タリムの図書館の展示品の、矢立型の携帯用ペン・インク壷。インク入れには真綿または絹糸を入れてインクを染み込ませたのだろう、と推測。(墨はスス、没食子、アラビアゴムが使われるらしい)

煌くハータム・カーリー … ハータム・カーリーはペルシアの寄木細工(素材やデザインは違うものの、箱根の寄木細工の雰囲気に似ている)。そのハータム・カーリーの「筆箱」の画像です。

矢立も筆箱も出てくるなんて、おそるべしイスラム!

ついでに、机上に置いておく文具入れも存在します。(★スルタンの書道道具

イスラム圏に筆箱や矢立が存在することやその理由は、「後期イスラム世界における紙と書物」(鈴木薫 東京大学東洋文化研究所教授)に詳しく書いてありました。(これは講義録か講演記録なのでしょうか? PDFファイルです)

要点をあげると

【ラテン文字世界】
西欧キリスト教世界 インクに鵞ペン 書道は発達していない

【ギリシア・キリル文字圏】
東欧正教世界 インクに鵞ペン 書道は発達していない

【梵字系世界】
インド~東南アジア 鉄筆でヤシの葉に刻む 書道は発達していない

【漢字圏】
中国 朝鮮 ベトナム 琉球 日本 墨と毛筆 柔らかい紙 書道は発達している

【アラビア文字圏】
イスラム世界 葦ペンに墨 書道は発達している

書道(カリグラフィー)が発達したのは、漢字圏とイスラム圏というのが興味深いです。

イスラムの書道道具は、葦ペンのほかに、

墨(ミュレッケプ) … ランプの油から出たを集めて乳鉢で練って、アラビアゴムを加え、さらにいくつか薬品を加えてねかしておいたもの。

墨壷(オッカ) … この中に生絹の糸屑を入れ、適量の墨を入れて、そこから墨をとって書く。

筆切り台(マクター) … 真ん中に窪みがあり、荒削りしたペンの先をのせて先をぷつっと切り筆先を整える台

筆切り小刀(カレム・トラシュ) … 葦ペンを削って尖らせる。なぎなたのような長い柄のついた小刀。非常に鋭利。

筆箱(クグール) … それら一式の道具を入れる箱

紙切りはさみ …(特に記述なし)

矢立て(デイヴィット) … 長方形の長い筒の一方の端の側面に墨壺がついたもの。筒の中に、筆切台、筆切小刀、筆を入れて帯にさして携帯する。(文人の象徴)

筆記に必要ないろいろな道具をまとめておく、または携帯するために、容器があったほうが便利ということでしょう。
ものを書く場面も2種類あり、

卓上 … 書斎に文机、その上に筆切台と筆切小刀など、あるいはそれらがセットになっている文箱のようなものがある。

画板(アトマ) …  膝を立て、片膝上に画板を置いて、右端から左方に書く。卓上で書くよりもこちらのほうが普通

机がなくても書ける文化のようで、昔の人は手に紙を持ち上げるだけで書くこともできたようです。

ヨーロッパよりも、イスラムのほうがはるかに日本の「筆記用具携帯文化」に近いです。
硯箱に相当する卓上用の筆記用具入れと、道具を入れる筆箱と、さらにコンパクトな矢立があって、机の上でなくても書いていますから。

矢立と共通しているのは、

・墨壷と筆と刃物が携帯できる。(日本の矢立は刃物を入れない場合もある)
・インクにあたるものの主成分がカーボン
・墨がこぼれないように、真綿などに染み込ませて使う

同じような形のものが別の地域に独自に存在することもあると思いますが(日本の矢立は日本で独自に生まれたものと考えて良いと思います。これについては今後の調査報告で)、筆記用具の携帯自体を日本独自ということはできそうもありません。

サイト「博物館百科」の「矢立」の項には、「クルス(十字架)型の矢立」として紹介されている図版があり、日本でキリスト教を禁止されてもオランダ人には信教の自由があって、その注文に応じてこれは日本で作られたのだろうという推測がありますが、この図版はここまでに出てきたイスラム圏のディビットと同じタイプなので、日本の産ではないと思います。
(デイビットがキリスト教のものだと解釈されたら逆に問題なのでは?)
日本離れした柄でも国産の矢立だと思われるほど、ディビットは「矢立」にしか見えないんだと思います。

イスラムの筆箱タイプの筆記用具入れは(HEILBRUNN TIMELINE OF ART HISTORY 〈13世紀 イラン西部またはイラク北部〉 メトロポリタン美術館所蔵)に画像があり、金銀象嵌を施されたもので、高さが4.1cm、長さが22.2cmと、サイズ的にも筆箱です。

Muslim metalworkers produced large numbers of pen boxes, many of which were richly decorated with inlays of gold, silver, and copper. A typical medieval Islamic calligrapher's pen box is an elongated rectangular object with rounded corners, about ten inches long, three inches wide, and two inches tall. In its simple construction, it is composed of a main body and a lid with two hinges along one of the long sides and a clasp on the opposite side. The interior includes a receptacle to hold the inkwell in one corner while the remaining space is reserved for a variety of reed pens and penknives.【後略】

説明に、「イスラムの金工は、たくさんのペンボックスを作りだした。」とありますので、これは特殊な例ではないことがわかります。
蝶番が長辺に2個付いて、留め金が反対側にあって、蓋がついた構造。
内部は、ペンとペンナイフを入れる場所と、インク壷を入れる場所に仕切られているようです。

ますます混沌としてくる筆箱の歴史。
次回はたぶん矢立関係になると思いますが、あらぬ方へ行くかもしれません。
(骨董筆箱とか、世界の学校の現在の筆箱事情なども出てくる予定です。)

☆    ☆    ☆    ☆  

サイト 写真でイスラーム によれば、シリアでは、日本の呉竹製のカリグラフィーペン(幅1.0mm~3.0mm 4色)が買えるそうです。(記事「★Arabicカリグラフィーペン
アラビア語を書くのに、先が平らな英語カリグラフィーペンでは書きにくいけれど、このペンは先端が右上がりカットになっているそうです。
輸出用のため、日本では購入できないそうで残念です。(2006年9月の記事)

【このブログの関連記事】

→ カテゴリー シリーズ:筆箱事情調査 … 調べているうちに、全然違う資料が見つかって、自分の予想外のところに飛ばされてばかりいる泥沼化シリーズです。インターネットがなかったらもっと早く行き詰っていたと思うのですが…画像や古書探しにも便利なインターネットの恩恵で、どこまでいくかわからなくなってしまいまいました。

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Calamarium 葦ペンを入れるケース ~筆箱事情調査シリーズ~

1593年発行の『羅葡日辞書』で、「フデヅツ フデバコ」と日本語訳されているラテン語Calamarium。(詳しくは、前の記事日本国語大辞典で『筆箱』をひいたらをご覧ください。)

この言葉をネットで検索しても画像が見つからなかったのですが、ブログ げたにれの“日々是言語学” の記事 「カラマーリ」と「カラマリ・ユニオン」に関するカラマワリ。 の中に、参考になる関連語がいろいろ掲載されていました。

calamus [ ' カらムス ] 「葦、葦ペン」。ラテン語

calamarius [ カら ' マーリウス ] 「葦ペンの」。ラテン語

calamarium [ カら ' マーリウム ] 「葦ペンを入れておくケース」

つまり、この「フデヅツ フデバコ」は、葦ペンを入れたもののようです。

これらの関連語をいろいろ組み合わせて、検索しなおしたところ、たぶんこれではないかという画像が見つかりました。

サイト The Private Life of the Romans の395「Pens and Ink」の図版262、「PENS,PENCASE, AND CRAYONHOLDER」(ペン ペンケース クレヨンホルダー)という挿絵です。
PEN CASEは葦ペンを入れるケースで、素材はわかりませんが、円筒状のマーブルチョコレートの箱のような形で、日本語で言ったら「筆『筒』」だろうなという形です。

ローマ時代が正確にいつからいつまでなのか私にはわかりませんが、サイト 世界史講義録 を参考に、紀元前50年くらいから200年くらい(カエサル~五賢帝時代)としても、ずいぶん昔の話です。

さらに、葦ペン用の PEN CASE は、別のタイプも存在するようです。
Answers.com の Reed pen の項には、ルーブル美術館所蔵のエジプトの葦ペンのケースつきの画像があります。
構造がよくわからないのですが、葦ペンを複数本差し込んである板状のもので、箱でも筒でもなく「筆『板』」とか「筆『挿』」とでもいうような形をしています。
この画像に、フランス語の「筆箱」を意味する「plumier」という解説もあります。
画像一番右の葦ペンケースは、エジプト18王朝(紀元前1336~1327年)のもののようです。

さらに、サイト 無限∞空間 さんの 神様装備品 の 道具 の説明の中に、この筆箱がエジプトの壁画風の絵つきでのっていました。
名前(用途?)はパレット。
「インクを混ぜ合わせるためのもの。カラムペン、インクとセットになっていることがほとんど」「書記官の必須アイテム」だそうです。
カラム=葦ペンで、インク壺は中身が乾燥しないようなつくりになっているとのこと。
このペンケースは葦ペン入れとインクを混ぜるパレットを兼ねている構造のようです。
(エジプトのインクの成分は、ぺんてるのHPの ぺんてるライブラリー によれば、黒インクは「煤煙をニカワで溶いた」もののようです。)

加えて、エジプトにも筒型のペンケースがあるようです。

サイト Bible Picture Gallery の StylusEgyptian writing case with stylus and ink.」という説明の画像は、尖筆? 用らしいですが、ペンケースとインク入れが鎖でつながった形になっており、その形状から、携帯用だと思われます。
(同サイトのパレット型ペンケースにも Stylus という説明があるので、これが葦ペン入れのことか、葦ペンとは別の筆記具が入っているのかは不明)

(このあたりは諸説あるようで、パレットにはインクが入っていて、水入れがくっついていてインクをのばして使う(ヒエログリフ読み書き講座)と説明しているサイトもあります。)

これらは、学童用筆箱とは大幅にずれている気がしますが、筆記用具を入れる筒やケース自体は大昔から存在していることがわかりました。
文字の誕生以前にまで筆箱の歴史がさかのぼることはないと思われるので、筆箱の歴史は、ここからどう発達(または衰退)していったかを見ればよいように思います。

【古代エジプトのペンケース】
・紀元前1336~1327年には存在した
・木製で、平たい板状。
・葦ペンを複数本差し込んでおく構造。
・インク?を入れるへこみが2個あった。(黒用と赤用?)
・筒状のものもあり(素材不明)、インク壺(水壺?)がつながっている。
・黒インクは煤煙をニカワで固めたものだった。

【古代ローマのペンケース】
・紀元前50年~200年くらいには存在した。
・筒型で蓋つき。素材は不明。
・葦ペンを入れて使用した。
・インク壺は、黒インク用と赤インク用があった。
・黒インクは、イカの墨が使われた。

自分の語学力や歴史力が追いつかないので、この両者についてはこの程度にとどめたいと思います。

この葦ペン文化を調べていたら、日本独自と思っていた別のものととてもよく似たものが、さらに別の国で見つかってしまったのでした。(続く)

【このブログの関連記事】

→ カテゴリー シリーズ:筆箱事情調査 … 欧米の子どもは筆箱を持っていない? 筆箱の起源は日本って本当? と調べていて、とうとうエジプト時代までさかのぼってしまったシリーズです。これからは現代に近づいてくる予定ですが、どうなることやら。

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日本国語大辞典で「筆箱」をひいたら… ~筆箱事情調査シリーズ~

学生の時に存在を知った『日本国語大辞典』(小学館)は、言葉の学習にとても重要な資料です。
国語辞典なのに百科事典並みの冊数(旧版は全20巻 第2版は全13巻+別巻1)のこの辞典は、言葉の意味を並べているだけではなく、その言葉が実際に使われた資料、それもなるべく古いものを用例として挙げています。
なので、その言葉がいつ頃には使われていたのか、その時はどういう意味であったのかがよくわかる辞典なのです。

この辞典で「筆箱」をひいてみたら、驚くべき資料が出ていました。

ふで‐ばこ【筆箱・筆匣】〔名〕筆を入れておく箱。また、鉛筆、ペン、消しゴムなどの筆記用具を入れる長方形の箱。皮製、布製に袋状のものなどもいう。
 *羅葡日辞書(1595)「Calamarium 〈略〉 Fudezzutҫu,fudebaco(フデバコ)」
 *狂歌・豊蔵坊信海狂歌集(17C後)「命毛のながき五十の筆はこを明てこころむるうのとしの春
 *殿村篠斎宛馬琴書簡‐文政11年(1828)3月20日「当地筆工に注文いたし、五拾本斗結せ候処、用立不申候。〈略〉打捨置、ふでばこをふさげ候のみ也」
 *和英語林集成(再版)(1872) 「Fudebako フデバコ 筆匣」

『羅葡日辞書』って、何???
『日葡辞書』なら聞いたことがあるけど、これは初耳です。
しかも、1595年って…明治どころか、江戸を飛び越して、関ヶ原の合戦よりも前、安土桃山時代ってことですよね。

『羅葡日(対訳)辞書』の性質は、サイト日本語教育学特殊講義2によれば、

1595成立。編者はイエズス会士(固有名未詳)。表紙に続いて、序、本文、補遺があり、 正誤表で終わる。

当時のヨーロッパで辞書の代名詞のように言われていた、アンブロジオ・カレピーノ(1440?-1510)の手になるラテン語辞書から、地名・人名の固有名詞と使用の稀な語とを除いたものを見出し語とし、それにポルトガル語・日本語の訳を付けた対訳辞書。「日葡辞書」に先行し、また与えた影響も少なくない(類義語の提示や語の選択性など)。ただ、ラテン語の対訳ということから生じる制限もあり、日本語を中心とした豊富な価値ある注記を有する「日葡」に及ばないところは多いが、「日葡」に見えない語も含み、また一見出し語に複数の日本語があてられていることから、当時の類義語の研究には役立っている。

となっています。

一方、『日葡辞書』は、

1603-1604,日本イエズス会の神父達により成立。

 来日早々の外人修道士にはまず前出の「羅葡日辞書」が用意され、この「日葡辞書」は日本語に耳慣れた外人のものとして準備された。

 見出し語は日本語、本編で25965語、補遺編で6831語ある。この見出し語の表記はローマ字でなされ、その綴りは当時のイエズス会の中心言語がポルトガル語であったことから、ポルトガル語式のものを利用する。これは当時のキリシタン版一般に通じるものであった。排列は当然アルファベット順であるが、動詞は語根(現在の文法で連用形と呼ぶもの)を立て、それに現在形(終止・連体形)、過去形(連用形にタの下接した形)を併記する(先ほどの例参照)。見出し語として採録されているものは標準語だけでなく、上述の目的にしたがって各種の語が見える。

つまり、

羅葡日辞書 … ラテン語があり、それを日本語で何と言うか説明。

日葡辞書 … 日本語があり、それをポルトガル語で何と言うか説明。

です。

たとえば、『羅葡日辞書』では、

Ef floreresco,as  → Fanaga vouoqu saqu,& saqi midaruru(ハナガ オオク サク & サキミダルル)

Terriculamenta,orum. → Fitono vosoruru yǔrei,fengueno mono.(ヒトノ オソルル ユーレイ ヘンゲノ モノ)

のように、ラテン語の語を日本語の文で説明しています。

調べてみたところ、羅葡日辞書に「筆箱」はありますが、日葡辞書に「筆箱」は見当たりません。
ラテン語で筆箱を指す言葉「Calamarium」の訳語は、「フデヅツ」「フデバコ」。
でも、日本語が先に来た場合、辞書にはのっていないようなのです。
羅葡日辞典の語数は約3万、日葡辞書は約3万2千語、日葡辞書の方が収録語数が多いのにです。
もちろん、日葡辞書の収録漏れや私の単なる見落としなども考えられますが、それよりも、ラテン語の「使用が稀ではない語」に「Calamarium」が存在するらしいことが驚きです。

日本国語大辞典の、筆箱関連語は、他に、

ふで‐づつ【筆筒】(名)筆を入れておく筒。ふでいれ。また、筆・鉛筆などを立てておく筒。ふでたて。ひっとう。(後略)
*羅葡日辞書の他の用例は、1886年の「筆立」の意味のもの、1905-6年のこれもたぶん「筆立」と思われるもの。

ふで‐いれ【筆入】(名)筆を入れる箱や筒。筆筒。また、鉛筆やペンなど筆記具を入れる箱。筆箱。(後略)
*用例は、1921年で、意味は「筆箱」

「筆筒」の「筒」が丸いものを指すことから、「筆筒」が筆携帯用のものを指すのだとしても、いわゆる「筆箱」の箱イメージとは異なるものだと思います。
また、「筆入」の用例は1921年ですから、比較的新しい語のようです。

Calamariumは「学童用筆箱」ではないと思いますが、机上用なのか携帯用なのかはともかく、ラテン語文化圏に「筆記具を入れる筒か箱」が存在したのは確かなようです。
学童用からは大幅に外れるものの、「筆箱」は日本固有のものではなさそうです。
(Calamarium については次回に)

☆  ☆  ☆

『羅葡日辞典』について

サイト父さんと母さんの実家の頁羅の細道によれば、『羅葡日辞典』(原題"Dictionarium Latino Lusitanicum ac Iaponicum") の現物は、世界に7冊しかないとか。

現物にあたるのは無理なので、私が資料として使ったのは、『切支丹版 羅葡日対訳辞書 備考』(島正三 編 文化書房)のⅠ、Ⅱ巻です。
これは『羅葡日辞典』の索引で、見出しを日本語(当時の発音のローマ字表記)にして全体を並べ替えていて、日羅辞典のような形式になっています。
元の辞典の性格で、日本語は単語とは限らず、見出しが文章になっていることも多いです。
先の引用部分は、元はこうであっただろうという逆の順序で掲載してあります。

『日葡辞書』は、図書館の『邦訳日葡辞書』(岩波書店)を使いました。
ざっと調べてきたので、ひょっとしたら見落としがあるかもしれません。
(確認に出かけたら図書館が休館で…不確かですみません)

【このブログの関連記事】

→ カテゴリー シリーズ:筆箱事情調査 … 筆箱の歴史を調べています。記事が追いついていませんが、今はさらに違う国まで調査の対象に…収拾がつく日が来るのかとても疑問です。

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明治6年の英語テキスト『世界商売往来』のpencase ~筆箱事情調査シリーズ~

明治6年(1873年)再刻(再版のことと思われます)の『世界商売往来』という本があります。
PhotoPhoto_2(初版は明治4年 1871年)
  これは、海外貿易用商品や語彙を集めて編集したもので、始まったばかりの学校教育の教科書としても採用されたものだそうです。
・上段…英語とその読み方(カタカナ表記)と日本語訳(楷書表記)
・下段…崩し字にカタカナの振り仮名、一部はそのものの絵
が掲載されています。
アルファベット順やいろは順ではなく、カテゴリー別(船舶用語 数字 食品 動物 など)に並んでいて、英和辞典にも和英辞典にも使えます。

この本の中の文房具が集めてあるページに、「筆入」がありました。
あいにく、筆箱の図版はありませんが、「pencase ペンケース」に「筆入」という訳がついています。
Photo_3

この事典の他の文房具の訳を見ると、

「ink  インキ」 → 「墨」「墨汁 スミ」
「inkstand インキスタント」 → 「墨汁壺 スミイレ」
「slate スレート」 → 「石盤 セキバン」
「slatepencil スレートペンシル」 → 「石盤筆 石筆 セキヒツ」
「penknife  ペンナイフ」 → 「筆切小刀 フデキリコガタナ」
「paper  ペーヘル」 → 「紙 カミ」
「pen  ペン」 →  「筆 フデ」
「ruler ルーレル」 → 「定規 ジヤウキ」
「foldingstick フオールデクスチック」 → 「箆 ヘラ」
「table テーブル」 → 「机 ツクヘ」
「Sealingwax シールリンウヲツクス」 → 「封蝋 フウジロウ」
「Wafers ウエーフェル」 → 「封糊 フーノリ」

となっています。

翻訳は、両方の国に同じものがあれば置き換えればいいわけですが、片方の国にしかない場合は、新語を作ったり旧来の言葉を組み合わせたりする必要があります。

ここで注目すべきは、pen」  が 「筆」 と訳されていることです。
今の私たちなら、「pen」は「ペン」であり、筆とは違うものと区別しているわけですが、当時は「ペン」では意味がわからなかったから、「筆記用具」として日本にあった「筆」をあげたのだと思います。
インクが「墨 墨汁 スミ」と訳されているのは、日本の墨を輸出のために説明するというより、外国の「ink」を買う時にその用途がわかるようにということでしょう。
それならば、「pencase 」は「ペンの入れ物」であり、「pen」=「筆」、「case」=「入れ物」で、外国の「pencase」を「筆入れ」と訳したのではないでしょうか。

「pencase」は、文字どおり「ペンの入れ物」であったかもしれませんが、「鉛筆の入れ物」であった可能性もあります。
それは、鉛筆を携帯するために使われていた道具が「ペンホルダー」という名前であったりするためです。

アンティーク・シルバーアクセサリー専門店のブログ アンティークの“プライド店長日記”アンティーク 鉛筆ホルダーの記事には、「英国製のアンティーク鉛筆ホルダー。イギリスではペンホルダーと呼ばれています。」と書かれています。
他にも、Donum 1900年頃ベルギー・真鍮・ペンホルダー Ⅱ や ギャラリーグレースBLOG の SILVER Pen Holder England にも、同様の鉛筆用の補助軸が「ペンホルダー」という名前で出てきます。
(もちろん、ペンシルホルダーという言い方で通用していることも多く、「pencil holder」で画像検索すると、同様の鉛筆ホルダーがたくさん見つかります。「pen holder」も意味の幅の広い言葉で、ペンを挿す場所や筆立ても含まれます。)

なので、「pencase」は、「ペン用」か「鉛筆用」か断定はできませんが、存在したことは確かです。

これを、先の年表に入れると、次のようになります。

1873年 pencase=筆入 という訳があり、pencaseがイギリスまたは英語圏にあったと思われる。
     
(初版の1871年までさかのぼれるかも)

1886年 スイスに木製筆箱が存在

1910年 伊東屋カタログに舶来筆箱が掲載
     (同時期に国産筆箱があったと思われる)

1912年 イタリアに筆箱が存在
     (1906年以前、あるいは1870年代までさかのぼれるかも?)

1931年 ポーランドに筆箱が存在
     (1900年頃までさかのぼれるかも?)

その国に、筆箱を指す名詞があるかないかは、そのものが存在したかどうかの手掛かりになります。
その名詞が存在しても、複合語なのか(例:筆+箱=筆箱)、外来語扱いなのか(例:ペン)でも変わってきます。

それに気づいて調べてみたところ、筆箱調査は思いがけず古い時代にさかのぼってしまい、また広がってしまったのでした。(…どこまで続く)

☆   ☆   ☆   ☆   ☆

『世界商売往来』は、ネット上で読めることが後でわかりました。
古典籍総合データベース(早稲田大学) より、世界商売往来 のページを開き、画像をクリックしてPDFファイルを開きます。

奈良教育大学教育資料館所蔵 往来物の解説 からも、現物を読むことができます。

まだ入手していませんが、『世界商売往来』の索引も存在します。(→『世界商売往来用語索引』

☆鉛筆を挿して鎖などをつけ携帯して使う「ペンホルダー」専用鉛筆については、現物は持っていますが、本の資料が見つからず、いつ頃、どのように流通していたのかまだわかりません。
いずれは別記事で書けたらいいなと思います。

【このブログの関連記事】

→ カテゴリー シリーズ:筆箱事情調査 … 筆箱(筆入れ)の歴史をさかのぼって調べています。だんだん苦手分野が増えてきて、時間がかかっています。

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