絵本・児童書

「くまさんのずぼん」を適切な長さにする方法

『くまさんのずぼん』(柴野民三 原作 いもとようこ 絵)という絵本があります。

くまが、たぬきの洋服店でズボンをあつらえますが、はいてみると、少し長い。
「明日までに、5cmほど短くしてほしい」という要望を受け、たぬきの親方は仕立て屋の弟子の動物に「大急ぎで5cmつめてくれないか」と頼みますが、頼む弟子は誰も忙しがって次々と断ってくる。
しかたなく、たぬきの親方は自分自身で5cmズボンの丈を詰めて部屋に帰ります。

その後、使いから戻ってきたうさぎは、親方の言葉を思い出し、ああ、くまさんのズボンを5cmつめてあげなくちゃ、と、丈を5cmつめて家に帰る。
次にやってきたやぎも、また、親方の言葉を思い出して、ズボンを5cmつめて帰る。
翌日、早朝出勤してきたさるも、昨日は悪かったなあと、いそいでズボンを5cmつめる。
結果は…というお話。
5cm長かっただけのズボンが、計20cmも詰められてしまったのですから、それはもう笑える長さになったわけです。

別に、教訓的に読む必要はない楽しい話ですが、あえて、なぜこんなことが起きたのか考えてみます。

一番大きな理由は、コミュニケーションの不足です。
忙しくて、席をはずしてしまった動物もいるので、親方は一々「もう私が丈詰めをすることにしたから、お前はやらなくていい」と言えなかったこと。
断った弟子が、後から反省して作業をすることも予想できなかったため、「丈詰め済」の表示もしておらず、弟子が、作業済みであることがわからなかったことです。

それは別にしての問題点は、この話での親方から弟子への依頼は「くまさんのずぼんを5cm短くする」ということのみであることです。
それを、弟子は、頼まれたのだからやらなくてはと、何も考えずに機械的に5cmずつ短くしていった。
これが、くまの身長に合う長さかどうかとか、長ズボンの依頼か半ズボンの依頼かとかは、誰もまったく考えていません。
みんなが言いつけを守ったために、逆に誰が見てもあり得ない長さになってしまったという悲喜劇です。

この依頼には隠れた言葉があり、正確には、

『くまさんから返された元の状態の』くまさんのずぼんを5cm短くする」な訳です。

元が1mなら、丈詰めすれば95cm、元が70cmなら、丈詰めすれば65cm。
できあがり寸法にはとんでもない違いがありますが、「くまさんから返された元の状態」つまり「基準」がわかっていない弟子たちには、「5cm詰める」という作業しかできないわけです。

ところで、忙しくて「丈詰め済」の伝言ができなくても、こんな馬鹿げた長さにならない方法があります。

それは、

「くまさんのズボン丈を70cmにしておいてくれ」

という依頼方法です。

この場合、弟子は、ズボン丈を70cmにするために、まず、目の前のズボンの長さをはかります
切る前に長さをはかってみて、既に70cmになっていれば、これは既に作業が終わっている、もしくは、指示が間違っていた(な~んだ、親方、これ70cmだからこれ以上詰められないよ)と判断ができるからです。
うっかり誰かが詰め過ぎてあれば、「丈出し」の依頼だと思って、次の弟子が70cmになるように丈をのばす場合もあるでしょう。
基準となる長さがはっきりしていれば、あり得ない長さに切ることはありません。

いろいろ物議をかもしている、バンクーバーオリンピックのフィギュアスケートの点数や採点方法を見ていて、私はこのお話を思い出しました。
適正な審査だったと説明されても、良かった悪かったを抽象的に山ほど言われても、身の丈に合わないズボンをはかされたくまさんのように、印象と得点の差がありすぎて。

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かがくいひろしさんのラフスケッチ絵本が付録に

かがくいひろしさんの絵本を知ったのは、昨年の暮れのことです。
検索をしていて偶然見つけ、書店で現物を見た『おしくら・まんじゅう』のかわいかったこと。
小奇麗なイラストではなく、泥くささがあるような、でも、似たタイプのないとっても愛らしいキャラクター。
次のページがどうなるのかなという期待と意外性にわくわくして楽しかったです。

先日、児童書の近刊の展示会に行った折にも、かがくいさんの絵本の見たことのないものがいくつもあり、特に気に入ったのは『おふとんかけたら』と『みみかきめいじん』。
とろ~んと溶けてしまう描写のかわいさは絶品で、これらも絶対に入手しなくてはとメモ。

ところが、その後の講習会で、「昨年秋に亡くなられたかがくいひろしさん」と出てきて、えええっ!、とびっくり。
まだ見つけたばかりなのに、もう今後がのぞめないんですか~(泣)、と大ショックを受けてしまいました。
詳しい人には周知のことでも、自分には「新しい作家さん」なんですから。

そして、帰りに立ち寄った書店の雑誌コーナーを見たら、雑誌の表紙に、なんと、かがくいさんの「だるまさん」のイラストが出ていて、特集になっているじゃありませんか。
こんなことがあったあとだから、目に入ったのだと思います。

自分にとっては、たまたまたて続けの偶然が重なり、手にすることができました。
「イラストレーション」2010年3月号、通巻182号です。

かがくいさんは、50歳を過ぎてからの絵本作家デビュー(2005年)、それまでは特別支援学校の先生で、絵本作家の専業になったのは2009年3月、その半年後に膵臓がんで急逝されたそうです。
症状が出て入院してわずか5日後のことだったそうです。
昨年、栗本薫さんが亡くなられたのも膵臓がんでしたが、病状にはずいぶん個人差があるのですね。
あと3年分はネタがあるとおっしゃっていたそうで、読んでみたかったと残念に思いますが、かがくいさんはもっと無念だったことでしょう。

この雑誌には、別冊付録で、かがくいさんの未発表絵本のラフスケッチ絵本がついています。
Photo 『ぞうきんがけとぞうさんがけ』、 刊行装丁サイズで、ラフスケッチ(色鉛筆?で簡単に色がついている)、ネーム(ご本人の文字)の小冊子です。
刊行までに練り直す部分はあったかもしれないけれど、一応最後までお話ができています。
かがくいさんの絵本の製作過程を知る意味でも貴重なものだと思います。

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イギリス児童文学『マチルダは小さな大天才』の「鉛筆箱」 ~筆箱事情調査シリーズ~

このブログでは、「筆箱が日本で生まれて発達した」という説を、本当にそうなのかなと調査しています。
(→ 詳しくは、記事『文房具の歴史』(野沢松男)の筆箱考察へ)

今回は、『チョコレート工場の秘密』で有名なイギリスの児童文学作家、ロアルド・ダールの『マチルダは小さな大天才』をとりあげます。

ロアルド・ダールは1916年生まれ、この作品は1988年に発行された、比較的新しい作品です。
なので、現在のイギリス事情に近いものと考えてよいかと思います。
作者の子ども時代を反映しているにしても、「中古車販売」が出てくる話ですから、そんなに昔のことではなさそうです。

主人公のマチルダは、1歳半ですらすらしゃべり、3歳になる前に自力で字を覚えてしまって、4歳3か月でディケンズの「大いなる遺産」を読んでいたりする大天才。
ところが、両親は無教養で、中古車の状態をごまかして売るような悪徳商売をしていて、娘の天才に気づくどころかうるさがり、本を買ってくれと言うとテレビがあるじゃないかというくらいで、マチルダが図書館から借りてきた本まで「も少し役に立つことをやったらどうなんだ」とびりびりに破いてしまう有様。
マチルダを学校にあげるのも忘れていたという迂闊ぶりですが、学校生活にはマチルダの才能の大いなる理解者ミス・ハニー先生と、子どもを人間扱いしない暴力校長ザ・トランチブルがいます。
無理解な大人たちを、マチルダは痛快にやっつけていきます。その手段とは?…

この話の中には、筆箱が出てきます
正確には、訳者は「鉛筆箱」と訳していますので、「pencil case」なのでしょうね。
「筆箱」と訳さなかったのは、筆箱とは違うものという意識のためでしょうか。

この話の中の「鉛筆箱」がどんなものか、文章を読んでみましょう。
これは、マチルダの友達のラベンダーが、校長に一泡吹かせようと準備をしている場面です。

(前略) ラベンダーは沼の岸辺に長いこと腹ばいになって、しんぼうづよく待っていたが、ついに、一ぴき、大きなやつを見つけた。学校の帽子を網のかわりにして、さっとすくいとった。

 彼女は、イモリを入れようと思って、自分の鉛筆箱の底にヒルムシロ(水生植物)を敷いておいた。帽子からその鉛筆箱にイモリをうつすのが、ひと苦労だった。イモリは、水銀のように、のたくり身もだえた。しかも、鉛筆箱ときたら、イモリがちょうど入るだけの長さしかなかったのだ。
 ようやく箱の中に入れ、蓋を閉めるだんになると、今度は、そいつの尻尾を蓋にひっかけて切ってしまわないよう、気をつけなければならなかった。

(中略)

 なんとか、鉛筆箱の蓋を閉めおわり、イモリは彼女のものとなった。ふと思いついて、蓋をほんの少しだけあけておく。イモリが呼吸するためだ。
 翌日、ラベンダーは、この秘密兵器を肩かけかばんに入れて、学校にもっていった

(中略)

 教室に行き、(補足:水差しを)教師用テーブルの上に置く。教室には、まだだれもいなかった。いなずまのようなスピードで、自分の肩かけかばんから鉛筆箱を取り出し、蓋をほんのちょっとだけずらす。イモリはじっと横たわっている。そーっと、鉛筆箱を水差しの口までもっていき、蓋を完全にあけ、イモリを落とし込んだ。

(中略)

 ついにやった。これで準備完了。ラベンダーは、鉛筆を、いくぶん湿った鉛筆箱にもどし、鉛筆箱を自分の机の決まった場所に置いた

                   (同書 p.194 ~198 抜粋)

このことから、鉛筆箱は、「イモリがやっと入る長さ」で、「蓋をずらして開け閉めするタイプ」であることがわかります。
当時の挿絵(クェンティン・ブレイクのもの)でも、ふたが箸箱のようにスライドするタイプの筆箱の絵がかかれています。

イギリスに生息するイモリは、クシイモリ(雄:140mm-150mm、メス:160mm以上とある)でしょうか。(リンク先に画像と説明あり)
文章中にも、イモリ一般の説明で「体長約十五センチ」(同書p.194)という説明があり、「クロコダイルの赤ん坊に似ている」という記述があります。

鉛筆の長さの基準が、7インチ(17.78cm ファーバーカステルのローター・ファーバーの提案した基準)なので、鉛筆入れはそれが入る大きさ。
イモリが「大きなやつ」であったにしても「ちょうど入るだけの長さ」しかないので、この鉛筆入れの内のりは鉛筆の長さくらいで、あまり長さにゆとりがないのかもしれません。
でも、下に植物を敷いているので、深さは割とあるのでしょうか?

筆記具が入る溝を彫ってあるタイプの木製筆箱ではイモリが収納できないので、箱にスライド蓋がついた型ではないかと思います。
それも、蓋が斜めに回転するタイプでは、「蓋をほんの少しだけ開けておく」状態でバッグに入れるのは難しく、ここはやはり大型箸箱タイプと考えられます。

さらに、この鉛筆箱は、「肩かけかばんに入れて」持ち歩き、学校では「自分の机の決まった場所に置」くものです。
ラベンダーは、学校からの帰り道にイモリをつかまえることを思い浮かべるので(p.193)、計画的に学校から鉛筆箱を持ち帰ったわけではありません。
そして、家の沼でイモリをつかまえたとき、鉛筆箱はすでに手元にあったわけです。
これは、日頃鉛筆箱を携帯していたからだと言ってよいと思います。
そして、学校に着いたら、鉛筆箱はカバンから出して机の中に入れておいたのでしょう。

形からすると、鉛筆箱の材質は木製か金属製だと思うのですが、どっちにしても、水草を入れてイモリを入れちゃいけないでしょ~^^;
さらに、このイモリ、いたずらのあと、また拾われてラベンダーの鉛筆箱にしまわれています。
鉛筆はどうしたんだい^^;
鉛筆を出してイモリをしまった、という記述がないので、ラベンダーが授業で鉛筆を使っていて空いていたってことでしょうか?
それともヒルムシロが入っていないので、空間に余裕が?(←そんなところまで普通読まない!)

なお、鉛筆を学校で使っていて、それが個人の持ち物であることは、以下の記述でわかります。
学校には、5歳かそれ以前に入学するきまりで、マチルダは遅れて5歳半になってから入学することになります。

子どもたちみんなの名前を呼ぶ、お決まりの仕事がすんだあと、ミス・ハニーは、それぞれの生徒にまあたらしいノートブックをわたした。
みんな、自分の鉛筆はもってきたわね」彼女は言った。
「はい、ミス・ハニー」生徒たちはいっせいに答えた。
「そう。きょうは、あなたたちのひとりひとりにとって、学校生活のいちばん最初の日です。(後略)」

  (同書 p.94)

このことから、次のようなことが言えると思います。

(考察) 1988年ごろ(あるいはそれ以前)のイギリスの学校文具

・学校入学時の筆記用具は鉛筆を使っていて、それは個人で用意するものだった。

・学童用の「鉛筆箱」が存在した。それは、

 ・蓋がスライドして開け閉めできるタイプ。
 ・鉛筆が入るくらいの長さで、あまり長さにゆとりはない?

・「鉛筆箱」は、肩掛けかばん(等?)に入れて持ち歩いた。

・机の中に「鉛筆箱」を置く場所が決まっていた。

もちろんこれは一例であり、すべてのイギリスの学校でこうだったとは言えません。
時代や地域によって変わる可能性はあります。
ただ、このように、鉛筆を持ち歩くための筆箱は学童文具として存在しており、なかったわけではないと言ってよいでしょう。

しかし、これは新しい時代の児童文学であり、それ以前の時代には筆箱はなかったのかもしれません。
また新しい資料が見つかったら、そのあたりの事情も詳しくなっていくと思います。

なお、学校で使う黒板とチョークも重要なアイテムとして登場します。
そのほか、学校生活の最初に出てくる勉強が、国語は「cat」の綴り方だったりするのに、算数は「二倍の掛け算」だったりするので、ずいぶん日本とは違うなあと驚きます。

自分では、今まで、国や年代を考えて物語を読んだ経験がなかっただけに、こうやって読んでいくと、既読の作品でも思わぬ発見がありそうです。

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【その他の筆箱事情調査シリーズ】

→ カテゴリー シリーズ:筆箱事情調査」 

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アメリカ児童文学『百まいのドレス』の文具 ~筆箱事情調査シリーズ~

このブログでは、野沢松男氏が、『文房具の歴史』(文研社)の中で、

筆箱は日本生まれのようだが…

・ 欧米の学童は筆入れというものを持っていない。
・ 欧米では筆記具とインクは机に付随するものであり、筆記具を携帯するのは巻紙と筆文化の日本の特性

ゆえに、筆箱文化は日本で発達したもの。

という考察をされているのを、本当にそうなのかなと調査をしています。

今回とりあげるのは、『百まいのドレス』(著:エレナー・エスティス 訳:石井桃子)です。

戦後、『百まいのきもの』という題で翻訳されたアメリカの児童文学が、2006年、『百まいのドレス』という名前で再び刊行されました。
この作品がアメリカで発表されたのは、1944年のことです。

この話は、ワンダ・ペトロンスキーというポーランド移民の女の子が、貧しくていつも同じ服しか着ていないのに、「家に百枚のドレスを持ってる」と言ったことから、それはどんなドレスなのだとずっとからかわれ続けることになる話です。
あまり裕福でない女の子マデラインは、それをよくないと思いながらも、やめさせることができない。
どこにでもある差別や、いじめになってしまう状況や心の動きをとらえた作品です。
そして、ある日、突然、ワンダは転校してしまいます。
ワンダの残していったもの、教室の壁という壁を埋め尽くした百枚の絵は、いつもワンダが話していた通りの色形をしたドレスのデザイン画でした…

…まだ話は続くのですが、作品に興味を持ってくださった方にはぜひ読んでいただきたいと思います。
マデラインが悩んで考えて決めたこと、それは現代にも通用する普遍的な大切なことだと思います。

さて、この中に出てくる文具に注目してみましょう。

この話の中にも筆箱は出てきません
しかし、子どもが学校で使っている文具は、ペンではなく鉛筆です。

マデラインは、小さな、赤い鉛筆けずりのなかに、鉛筆をいれ、ゆっくりまわしながら、けずっていました。けずりくずは、ちゃんと紙の上にうけて、しんの粉が、算数の白いところにとばないように、気をつけながら。

(同書P.24 より)

マデラインは、鉛筆のけずりくずを紙につつんで、教室の前の、先生の机のそばにある、くずかごにすてにいきました。

(同書P.37 より)

この子どもたちが何年生なのかは書いてありませんが、意地悪を言ったりそれに答えたりする言葉づかいや、デザイン画のコンクールがあったりすることを考えると、低学年ではないと思います。
学校の中で鉛筆を削っている場面があるのですから、学校で使っていた筆記具は鉛筆が多そう。
となると、インク壺のように、必ずしも机に付随している必要はなさそうです。

ただ、よく挿絵(当時の作家のもの)を見ると、机の端には丸いくぼみがあるので、学校でインクを使う場合もあり、その置き場所も確保されていたようです。
(家で手紙を書く場面では、ペンとインク瓶を使っている挿絵もあります)

また、1944年当時、鉛筆を削る道具はナイフでなく携帯用鉛筆削り器であるのも興味深いところです。
ナイフを使っていなかったというわけではないと思いますが、携帯用鉛筆削り器が普及していたようですね。
マデラインは、「ワンダの家ほどびんぼうではありませんでしたが、でも、やっぱり貧しかったのです。」(同書P.22)で、友人のおさがりの服をもらって母が縫い直した服を着ているのです。
なので、携帯用鉛筆削り器は、普及品だったと思われます。

鉛筆と携帯鉛筆削り器、出てきませんがこれに消しゴムが加われば、小さなものがなくならないようにまとめて収納する筆箱があったほうがよさそうだと思うのですがどうでしょう。

(考察)  1944年頃のアメリカの学校文具

・学校の筆記用具として鉛筆が使われていた。(他の筆記具がどうであったかはこの話では不明。ただし、ペンは使われた可能性大)

・個人で鉛筆を削るための携帯用鉛筆削り器が普及していた。

(ただし、地域差などもあると思われる)

余談ですが、ワンダの描いた絵は「目もさめるような色どり」(同書P.45)とありますので、色数の限られたクレヨンよりは、少ない色でも混ぜて多色の作れる絵の具かなあと勝手に想像しています。
そのほか「(絵をとめてある)びょう」(画鋲)、「赤と白のチョーク」も使われています。

※ このシリーズは資料が見つかったときに書いています。

【筆箱事情調査シリーズ】

→ 明治の舶来木製筆箱の図版 ~『伊東屋営業品目録』より~ その3

→ 『文房具の歴史』(野沢松男)の筆箱考察 ~続・明治の舶来木製筆箱の図版~

→ ドイツの絵本『うさぎ小学校』に見る文具 ~筆箱事情調査シリーズ~

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ドイツの絵本『うさぎ小学校』に見る文具 ~筆箱事情調査シリーズ~

学校で使う筆記用具を持ち歩く筆箱は、いつ頃、どこで生まれたのでしょう。

明治43年(1910年)の伊東屋の通販カタログ『伊東屋営業品目録』に出ていた木製の「舶来製筆箱」がありながらも、欧米では学童が筆箱を持っていない、という『文房具の歴史』(野沢松男 文研社)の記述もあり、昔の筆箱について資料を集めて調べています。

今回は、ドイツの絵本『うさぎ小学校』(文:アルベルト・ジクストゥス 絵:フリッツ・コッホ=ゴータ 訳:はたさわゆうこ)をとりあげます。

Photo

これは、1924年にドイツで出版された絵本で、擬人化されたうさぎの兄妹が学校に出かけて勉強して帰るまでの一日を絵本にしたものです。
カバーの解説によれば、出版当時の一般家庭を映し出しているそうです。
絵もすばらしく、ほのぼのとした楽しい絵本です。

この話の中には筆箱は出てきません

(おかあさんうさぎの台詞)
「さあ きょうから がっこうよ。
キャベツのハンカチで はなをかんで。
石ばんと 石ひつと きょうかしょはもった?
ほら、字をけすスポンジも 水でぬらさないと。
手はきれいにあらったの?」(同書より)

Photo_4 兄のハンスは、ランドセル(にしか見えない背負い型のカバン)にものさしをさしていて、妹のグレートヒェンはランドセルからスポンジ(たぶん海綿)らしきものと、小さな布をぶらさげています。
少なくとも、妹はまだペンを使っておらず、石筆を何に入れたかまではわかりませんが、通常の筆箱ではないようです。
下校風景では、大勢のうさぎが海綿と布をランドセルからさげていました。
スポンジ(海綿)は、石盤の文字を消すのに使うそうです。

Photo_3 学校の机は、5人くらいが並んで座る長机で、手前の書く面は傾斜していて、奥側が床と平行で、そこに長方形と円形のへこんだ部分があります。
おそらく、ここにペンとインクびんを置くのだと思います。
机が傾斜していて子どもが書きやすいのか疑問なのですが、ペンなどは定位置にあるから転がらないのでしょうね。
でも、ここにペンやインクを出したまま帰ってしまうのは不用心なので、机の中にしまったりできるのかしら?

図工の時間、イースターエッグを作るため卵にを塗るのですが、用意しているものは、
固形水彩絵の具(円く固めてあるもの) 8色
角型パステルかクレヨン 8色?
・筆洗い … カップだったり花瓶だったり決まったものはない様子

です。

この絵本から、1924年当時のドイツの一般家庭では、少なくとも低学年は石盤・石筆によって文字を書いており、筆箱は使っていなかったようだと推測します。

ここからは余談ですが、不思議だったのは、ランドセルのことです。
ランドセルのサイトを見ると、同じような記述がたくさん見られます。(色文字はけふこによる)

ランドセルの歴史 ムトウランドセルホームページ ランドセルの誕生 天使のはね ランドセルの歴史
(まるきり同じ文章なので、どれがオリジナルかわかりません 天使のはねサイトの文章は後半部がありません。) 

ランドセルの歴史は、古くは江戸時代にさかのぼります。幕末の日本に西洋式の軍隊制度が導入された際、布製の背のうも同時に輪入され、軍用に供されました。これが日本のランドセルの事初めと言えるでしよう。

明治時代になり、同10年10月に開校した学習院は、8年後の明治18年になって生徒の馬車や人力車での通学を禁止するとともに、軍用の背のうに学用品類を詰めて通学させることになりました。この背のうがオランダ語で“ランセル”と呼ばれていたことから、やがて“ランドセル”という言葉が生まれ、それは通学用の背負いカバンを意味するようになり、それが現在に至るまで受け継がれています。これが現在の形でのランドセルのルーツです。

(中略)

なお、世界中を見渡しても似たような背負い式の通学カバンはヨーロッパの一部で使用されているに過ぎず、ランドセルは日本独自のものといえるでしよう。

サイト「ランドセル博物館」にも、「わが国特有の文化」と書いてありました。(引用禁止サイトなので、読みたい方は検索して読んでください)

でも、ドイツでランドセル型のカバンが学童用に使われていたのに、「日本独自」とか言ってしまっていいのかなあと思います。
絵本では、微妙に横長型みたいで、素材は革か布かわかりませんが、女の子用は絵もついていたりします。(続編の『うさぎ小学校のえんそく』の終業式風景にランドセルがたくさん出てきます。革製が多い?)
ふたは2本のベルトで底にとめる形です。
どう見てもランドセルで、訳者もそのまま「ランドセル」と訳しています。

現在も、ドイツでは学校用に背負い型のカバンが使われているようです。
獨協大学ドイツ語学科ブログのランドセルって何語?によれば、ドイツのランドセルも「ランセル」起源の「Ranzen(ランツェン)」、学校用ということで「Schulranzen(シュールランツェン)」と言うそうです。
つい20年ほど前までは、中学生の手提げカバンのような横長の革製背負いカバンだったのが、安全対策として「車のライトを反射し、目立つこと」がコンセプトとなり、派手なビニール素材が主流になったとのことです。
ここに書いてあった、「日本のランドセルは100年以上フォルムが変わらずに伝わっている世界で唯一の通学用鞄だそうです。」ぐらいのアピールでちょうどよいと思うのですけど。

ウィキペディアでは、ランドセルのことを「欧米の学校でも似たようなものが使われている。」とあっさり言い切っています
実際のところは私にはわかりませんが。

《ドイツの現在のランドセルはこんな感じ》

一言で「ドイツのランドセルはね」というのがいかに難しいかの多様さ…でも、しっかり存在しているのは確かです。

プッペンハウス ドイツ日記 … 2005年7月。チェック柄がかわいい。

ペロル ドイツのランドセル … ぬめ革無地のランドセル。昔のタイプはこんなだった? 使い込むほどに味がでそうで、シンプルで大人も使いたくなるデザイン。

ドイツの暮らしのキロクチョウ … 2008年3月。リュックサックみたいなクッションの効いた背負い紐で縦長のつくりなので、リュックサックに見える。どくろマーク?もついている。

楽しもうドイツ!! ドイツ版ランドセル … 2009年2月。ピンク系のカラフルな大型タイプ。日本のものより大きいのでは? ランドセルとおそろいで他の文具もある。筆箱もある! ドイツの子ども向けにちゃんと筆箱がある!

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【筆箱事情調査シリーズ関連】

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『文房具の歴史』(野沢松男)の筆箱考察 ~続・明治の舶来木製筆箱の図版~

このブログの先の記事 明治の舶来木製筆箱の図版 ~明治43年『伊東屋営業品目録』より~ その3 と同じ図版が、書籍『文房具の歴史』(野沢松男 文研社)のP.262~263に掲載されています。

筆者は、筆入れについて「どうやら誕生は日本のようだが…」と推測しています。
理由として、

「奇妙なことに欧米の学童は筆入れというものを持っていない。」
「最近のアメリカでは香港製の筆入れが一部で出回っているというが、日本のように学童・学生の必需品としての存在になってはいない。」
「ヨーロッパの文具店には、鉛筆、カラーペン、ボールペンなどが、数本セットになって筆入れのようなケースに入って売られているが、箱だけを商品として扱っている例は、まず見かけない。」

などをあげ、机がなくては書きものができなかった欧米では、筆記具とインクは机に付随するものであり、筆記具を携帯するというのは、巻紙と筆文化だった日本の特性。
ゆえに、その文化も日本で発達したものだっただろうというのです。

Photo_3 日本の学校教育も、石筆と石盤からはじまり、広く鉛筆が使われるようになったのは、国産品が潤沢に出回るようになった大正からだろうという推測です。
筆と墨なら筆箱は使えないわけで、鉛筆が普通に使われるようになり、それを持ち歩くために筆箱が必要になり発達したというのですね。

ただ、この伊東屋の舶来製筆箱の資料が残っているために、筆者も欧米に筆箱がなかったとは言い切れないようです。
(この本には「子供への贈り物として人気があったという。」と書いてありますが、カタログには先の文章しかないので(贈り物としてもってこいだと伊東屋がプッシュしている)、別に伊東屋から取材したのかもしれません。何しろ高価ですから、大勢が買えたとは思えず…

私は欧米一般の事情はわかりませんが、ポーランドには筆箱があると思います。
それは、以前ここに書きましたポーランドの児童文学『ぼくはネンディ』(マリア・コブナツカ:作 内田莉莎子:訳 山脇百合子:絵)の中に、主人公である粘土の人形ネンディの家として、はっきり筆箱が出てくるからです。
(→『ぼくはネンディ』の内容については、記事愛したのは文具のせい?~『ぼくはネンディ』~をご覧ください。)

改めて読んでみたら、これも木製筆箱でした!

 ぼくは、ねんどでつくられたちっちゃなにんぎょうです。
 だから、ネンディって名まえなんです。
Jpg  ぼくはすてきなうちにすんでいます。しきりのある木のへやです。ぼくのとなりのへやにすんでるのは、おでぶで色の白いけしゴム。「ネズミ」って名前です。けしゴムのすぐそばには、ぴかぴかでとんがったペン先が四本。はんたいがわにすんでいるのが、ペンじくとえんぴつとナイフ。
 ぼくは、はじめ、ぼくらのうちが、なんて名前か知りませんでした。でも、もう知ってますよ。ふでばこっていうんです。 (同書 p12)

 けさ、ぼくらはみんなで、トーシャがふでばこをカバンに入れてくれるのを、まっていました。それなのに、トーシャはぜんぜんきません。つくえの上でまちつづけました。 (同書 p63)

中身が「ペン先 ペン軸 鉛筆(すずのキャップつき) 消しゴム ナイフ」であるなら、これは一般的な筆箱と思えますし、主人公のトーシャはこの筆箱を家でも学校でも使っていますので、持ち歩きもしているわけです。(インク壺も登場しますが、筆箱には入っていません。)
それが、このお話の中でとりたてて変なこととして書かれていないわけですから、これがポーランドの子供の日常であると考えられます。

Photo_2 解説では、この話の初出は1931年だそうで、「ネンディをねんどでつくった女の子トーシャを中心に、小学校一年生の学校や家庭での生活が、じつにいきいきとえがかれて」いると書いてあります。
1931年(昭和6年)には、少なくともこういう筆箱がポーランドには普通にあったと思われますし、作者が作品に自分の子供時代を反映しているなら、作者は1894年(明治27年)生まれですから、明治末あたりまでさかのぼることもできるかもしれません。
(ただし、前書きでは、7つの女の子の話をきっかけにこの話が生まれたと書いてあります。)

さらに、先の記事の追記にリンクしたブログドイツおもしろ生活の う~のすけさんは、木製筆箱をドイツの蚤の市でけっこう見かけるとおっしゃってますので、欧米諸国の中でも、筆箱文化があった国となかった国があるのではないかと私は思っています。

学校と家の両方に文具を置く経済的余裕があったかなかったか、あるいはものを必要以上に持たないのが美徳であったかどうか、愛着のあるものを常に使い続ける気持ちが強かったかどうか、学校の机がどのくらい収納ができたか … その地域のいろいろな事情で、筆箱は必要なかったり、必需品だったり、一定の形を保ったり、多様に発達したりするものかもしれないですね。

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【この後も筆箱事情を調査し続けています】

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祝☆復刊 『みにくいおひめさま』

絶版書籍を再び読みたいというリクエストを集めて、リクエストが多ければ版元と復刊交渉をしてくれる「復刊ドットコム」から、児童書の『みにくいおひめさま』(フィルス・マッギンリー☆作 間崎ルリ子☆訳 中川宗弥☆ 画 学習研究社)の復刊のお知らせメールが来ていました。
100人以上の復刊リクエストがあったそうです。
(再版は瑞雲社より)

この本は、子どもの時に読んだ現物をいまだに持っています。
初版は昭和43年。当時の本らしく紙ケースに入っています。

以下は、復刊ドットコムからの本のあらすじです。

本書は、ある王国のひとり娘エスメラルダの物語です。

わがまま放題に育てられた彼女の周りには、いつもお金や物があふれていました。そう、彼女は「世界一しあわせな女の子」だったのです。たったひとつを除いては…。何でも手に入れることのできた彼女が唯一手にできなかったもの、それは「美しさ」。国中の誰もが嘆くほど容貌が美しくなかった彼女を見かねた王様は、美しい姉妹を育てた普通の家に彼女を預けることにします…。

彼女がいかにして「真の美しさ」を手に入れていくのか、そして本当の「しあわせ」とは何なのか。その答えはあなた自身の目で確かめてください。世代を越えて読み継いでいきたいこの傑作童話を、ぜひこの機会にお読みになってはいかがでしょうか!

Photo その国での良い器量の条件は「りょうはしのあがった口と、下をむいたはなと、いきいきとかがやく目」。
でも、王女エスメラルダは、鼻が上を向き、口はへの字にまがり、目は、きれいな青い目だったけれど輝きがなかったのです。
その王女が内面の変化とともにだんだん美しくなっていく過程に説得力があって、でも、お説教くささがなくおもしろい。
たぶん、題名「みにくいおひめさま」というのにもすごくインパクトがあって、忘れずにいた人が多かったのではないでしょうか。

この話の中で、一番印象に残っていたのは、お菓子の「マフィン」です。
マフィンは王女の好物で、それを食べたいなと思った彼女が初めてお菓子作りに挑戦するのです。
当時、自分のまわりには「マフィン」なんてものは存在せず、でも、他の童話では見たこともなく、詳しい挿絵もないので、文章から想像するしかありませんでした。

 こんな雨の日など、ランプにひがともされて、おぼんの上にマフィンがのってでてくるのだったということなどを、おもいだしていたのです。べつに、かなしいわけではありませんでしたが、なにか、せつないようなかんじでした。
 そして、きゅうにまた、あのあたたかくて、ぱりぱりしてて、バターのたっぷりはいったマフィンを、たべてみたくてたまらなくなりました。

(中略)

 どうやらざいりょうがまざり、オーブンにおさまりました。
 みんなが目をさまして、エスメラルダをさがしにやってきたとき、ちょうどこのかわいい王女は、とくいまんめんで、ふちがかりかりしたきつね色のマフィンを、どっさりオーブンからとりだしているところでした。
(同書 P69~72より)

…ああ、すごくおいしそう。
「ぱりぱり」とか「かりかり」とかあるから、クッキーみたいにうすい感じなのかしら。
子どもの私の想像では、オーブンの天板に、ホットケーキの種のようなものを流し込んで、今ならタルトの皮の部分のようなかりっとした感じのできあがりで、これを切り分けて食べるのかなあと思いました。

そして、マフィンの謎がとけたのは、その約10年後。

大学生になったときに、ケーキ屋さんで「マフィン」と書いてあるお菓子を見つけたのですが、何と「カップケーキ」じゃありませんか!
嘘~! これのどこが、きつね色をしてかりかりなのよ~ 
しかし、その後見たマフィンはどれもカップケーキでした。

でも、私にとってのマフィンは、今もこの本から得たイメージのままで、憧れのおいしいお菓子です。

→ 詳しくは、復刊ドットコム 『みにくいおひめさま』の紹介&購入ページ

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年越しの夜の笠地蔵

大晦日のお話と言えば笠地蔵ですね。
日本の昔話の中でも、一番美しい話ではないかと思います。

いくつもの変形がありますが、

・貧乏な(老)夫婦が、お正月の支度をすることができない
・すげ笠(かせ玉、苧枷玉など)を作って、町へ売りに行く
・しかし、笠(かせ玉など)はまったく売れない(ので、かせ玉と他者の笠を交換する)
・気を落として帰る道、雪に埋もれたお地蔵さまを見つける
・笠を順番にかぶせていくと、ひとつ足りない
・自分の被っていた笠(手ぬぐい)を取ってお地蔵さまにかぶせて帰る
・夫婦で良いことをしたと喜んで眠る
・夜中、地蔵さまが、お正月のもちなどを運んできてくださり、夫婦は幸せなお正月を迎える

大体、こんな筋になっているかと思います。
(かせ玉は、麻の糸だと思っていたのですが、まんが日本昔話では、頭に飾るとあるので、調べてみたいところです。)
貧しい人が、その状態以下になって戻ってくるのに、それを喜びあえるという豊かなやさしい心が胸を打ちます。

ウィキペディアでは、「あらすじ」に、地蔵さまが7体とあるのですが、六道輪廻から人を救ってくれるという六地蔵の方が代表としてはふさわしいと思うのですけれど。

Photo

画像は、母が軽石を彫って作ったものです。
笠は、ラフィアかとうもろこしの皮で作っています。
これは、岩崎京子さんの「かさこじぞう」のような、おじいさんが手ぬぐいをかぶせたバージョンです。

今年はいつにもまして厳しい年の瀬ですね。
心優しい人たちの元に、少しでもよいお正月が来ますように。

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私流 ウルトラマンの折り方

ウルトラマンを折ってみた を見てくれる方が時々いるので、
折り方をのせてみました。

濃い色画用紙にも説明がくっきり書けたのは、ポスカです。
(ピグマックスツインはこういう濃い色の画用紙には書けない)

単色折り紙の銀色が店で品切れだったので、灰色なのがイマイチ…補色でピンクがかってるし。
折り紙は、決まった色がたくさんほしいときは、単色50枚とかのものを買います。
桜とか、アジサイとか、同じ系統の色がたくさん必要なときに、普通の折り紙だと何セットあっても足りないし。
余談ですが、こういうときは、千羽鶴用のものでもいいですが、
アメリカのブロックメモを使ったこともあります。
特厚の色上質紙が、正方形に切ってあり、いろいろな色がミックスで全体がグラデーションになってるもの。
折り紙にはちょっと厚手ですが、簡単なものなら十分折れるし、枚数があるのがいいところ。

基本は、「風船」の折り方で、三角の基本形を作ります。
Photo_33 その片面だけを、開いたり折ったりしていると、顔の元ができる。
紙の裏ばかりが見える部分に指を入れて開くのがコツ。

Photo_34 目と顔の輪郭は、ちょうどよいサイズになるように裏側に折り込みます。

 折っていなかった後ろの面が、ちょうど耳を作るのに役立ちます。
これもちょっと裏側に折り込んでくださいね。

Photo_35手前のは、クリーンハーモニーおりがみで折ってみました。赤がふちに入っている折り紙ですが、グレーのぼかしがかかるだけで赤は表に出ないですね。

絵本は、お父さんお母さんにも人気のほのぼのしんみり絵本「おとうさんはウルトラマン」シリーズの一冊です。

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愛したのは文具のせい?~『ぼくはネンディ』~

小学校1年か2年のときの学級文庫に、『ぼくはネンディ』という本がありました。
とても気に入っていて、何度も借りて読みましたが、
そこは自分の本でなかった悲しさ、内容をほとんど忘れてしまいました。
ネンディというのは、粘土の人形だったことしか覚えておらず、
でも、大好きだったという記憶だけが残りました。

ある日、思い立ってこの本をネットで探してみました。
何しろ、アマゾンには枠さえなく(大昔の児童書だもんね)、マーケットプレイス出品さえ望めない状況。
復刊ドットコムで、再版した『ネンディのぼうけん』の復刊願い が出ていましたが、あまり詳しい内容はわからない。
ヤフオクにもなく、あっちでも、こっちでも、品切ればかりの本でしたが、1冊だけ、ネット古書店に在庫があり、喜んで買ったのでした。

へ~、ポーランドの本だったんだ~ と、びっくり。
挿絵は、『ぐりとぐら』とか、『いやいやえん』とかでおなじみの山脇百合子さんでした。

一通り読んでみて、どんな話を覚えていたかというと、

「赤い日記帳」「みんなインクだらけ」「ふしぎなくろいはこ」(←水彩絵の具セット)「ペンふでと」「はくぼくにまちがえられた」…

…見事に、全部文具ネタの話ばかりじゃないですか(^^;)

主人公のトーシャという女の子の筆箱に、粘土人形のネンディが住んでいるのですが、同居しているのは、ペン先、ペン軸、えんぴつ、ナイフ、けしゴムのねずみ。
吸い取り紙、インクつぼ、固形絵の具のセットなども登場します。

ネンディは、色紙の切れはしをナイフやペン先に頼んでとじて、爪の先ほどの日記帳を作り、鉛筆の折れたさきっぽで記録をします。
インクつぼにかけあいにいって、インクまみれになり、
乱暴な女の子ゾーシャに借りられた鉛筆などがかまれて傷を負ってさわぎになり、先生にチョークと間違えられて黒板に押し付けられ、文具たちが、ネンディとともに、擬人化され、生き生きとしゃべっているのでした。

そう、たぶん、自分には無縁の、ペンやインクつぼや固形水彩絵の具に憧れて、それらが活躍する筆箱がうらやましかったのだと思います。
何しろ、文具が出てこない話は、見事なほど忘れてしまっていたのですから。

『ぼくはネンディ』(マリア・コブナツカ 学習研究社) 絶版

もう一度読みたい方、興味をお持ちになった方は、ぜひ、復刊ドットコムの復刊リクエスト投票に一票をお願いいたします。

→ 復刊ドットコム ネンディのぼうけん 復刊リクエスト投票 へ

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【関連記事】

→ 『文房具の歴史』(野沢松男)の筆箱考察 ~続・明治の舶来木製筆箱の図版~
『ぼくはネンディ』の表紙画像と本文の一部を紹介しています。

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