このブログでは、「筆箱が日本で生まれて発達した」という説を、本当にそうなのかなと調査しています。
(→ 詳しくは、記事「『文房具の歴史』(野沢松男)の筆箱考察」へ)
今回は、『チョコレート工場の秘密』で有名なイギリスの児童文学作家、ロアルド・ダールの『マチルダは小さな大天才』をとりあげます。
ロアルド・ダールは1916年生まれ、この作品は1988年に発行された、比較的新しい作品です。
なので、現在のイギリス事情に近いものと考えてよいかと思います。
作者の子ども時代を反映しているにしても、「中古車販売」が出てくる話ですから、そんなに昔のことではなさそうです。
主人公のマチルダは、1歳半ですらすらしゃべり、3歳になる前に自力で字を覚えてしまって、4歳3か月でディケンズの「大いなる遺産」を読んでいたりする大天才。
ところが、両親は無教養で、中古車の状態をごまかして売るような悪徳商売をしていて、娘の天才に気づくどころかうるさがり、本を買ってくれと言うとテレビがあるじゃないかというくらいで、マチルダが図書館から借りてきた本まで「も少し役に立つことをやったらどうなんだ」とびりびりに破いてしまう有様。
マチルダを学校にあげるのも忘れていたという迂闊ぶりですが、学校生活にはマチルダの才能の大いなる理解者ミス・ハニー先生と、子どもを人間扱いしない暴力校長ザ・トランチブルがいます。
無理解な大人たちを、マチルダは痛快にやっつけていきます。その手段とは?…
この話の中には、筆箱が出てきます。
正確には、訳者は「鉛筆箱」と訳していますので、「pencil case」なのでしょうね。
「筆箱」と訳さなかったのは、筆箱とは違うものという意識のためでしょうか。
この話の中の「鉛筆箱」がどんなものか、文章を読んでみましょう。
これは、マチルダの友達のラベンダーが、校長に一泡吹かせようと準備をしている場面です。
(前略) ラベンダーは沼の岸辺に長いこと腹ばいになって、しんぼうづよく待っていたが、ついに、一ぴき、大きなやつを見つけた。学校の帽子を網のかわりにして、さっとすくいとった。
彼女は、イモリを入れようと思って、自分の鉛筆箱の底にヒルムシロ(水生植物)を敷いておいた。帽子からその鉛筆箱にイモリをうつすのが、ひと苦労だった。イモリは、水銀のように、のたくり身もだえた。しかも、鉛筆箱ときたら、イモリがちょうど入るだけの長さしかなかったのだ。
ようやく箱の中に入れ、蓋を閉めるだんになると、今度は、そいつの尻尾を蓋にひっかけて切ってしまわないよう、気をつけなければならなかった。
(中略)
なんとか、鉛筆箱の蓋を閉めおわり、イモリは彼女のものとなった。ふと思いついて、蓋をほんの少しだけあけておく。イモリが呼吸するためだ。
翌日、ラベンダーは、この秘密兵器を肩かけかばんに入れて、学校にもっていった。
(中略)
教室に行き、(補足:水差しを)教師用テーブルの上に置く。教室には、まだだれもいなかった。いなずまのようなスピードで、自分の肩かけかばんから鉛筆箱を取り出し、蓋をほんのちょっとだけずらす。イモリはじっと横たわっている。そーっと、鉛筆箱を水差しの口までもっていき、蓋を完全にあけ、イモリを落とし込んだ。
(中略)
ついにやった。これで準備完了。ラベンダーは、鉛筆を、いくぶん湿った鉛筆箱にもどし、鉛筆箱を自分の机の決まった場所に置いた。
(同書 p.194 ~198 抜粋)
このことから、鉛筆箱は、「イモリがやっと入る長さ」で、「蓋をずらして開け閉めするタイプ」であることがわかります。
当時の挿絵(クェンティン・ブレイクのもの)でも、ふたが箸箱のようにスライドするタイプの筆箱の絵がかかれています。
イギリスに生息するイモリは、クシイモリ(雄:140mm-150mm、メス:160mm以上とある)でしょうか。(リンク先に画像と説明あり)
文章中にも、イモリ一般の説明で「体長約十五センチ」(同書p.194)という説明があり、「クロコダイルの赤ん坊に似ている」という記述があります。
鉛筆の長さの基準が、7インチ(17.78cm ファーバーカステルのローター・ファーバーの提案した基準)なので、鉛筆入れはそれが入る大きさ。
イモリが「大きなやつ」であったにしても「ちょうど入るだけの長さ」しかないので、この鉛筆入れの内のりは鉛筆の長さくらいで、あまり長さにゆとりがないのかもしれません。
でも、下に植物を敷いているので、深さは割とあるのでしょうか?
筆記具が入る溝を彫ってあるタイプの木製筆箱ではイモリが収納できないので、箱にスライド蓋がついた型ではないかと思います。
それも、蓋が斜めに回転するタイプでは、「蓋をほんの少しだけ開けておく」状態でバッグに入れるのは難しく、ここはやはり大型箸箱タイプと考えられます。
さらに、この鉛筆箱は、「肩かけかばんに入れて」持ち歩き、学校では「自分の机の決まった場所に置」くものです。
ラベンダーは、学校からの帰り道にイモリをつかまえることを思い浮かべるので(p.193)、計画的に学校から鉛筆箱を持ち帰ったわけではありません。
そして、家の沼でイモリをつかまえたとき、鉛筆箱はすでに手元にあったわけです。
これは、日頃鉛筆箱を携帯していたからだと言ってよいと思います。
そして、学校に着いたら、鉛筆箱はカバンから出して机の中に入れておいたのでしょう。
形からすると、鉛筆箱の材質は木製か金属製だと思うのですが、どっちにしても、水草を入れてイモリを入れちゃいけないでしょ~^^;
さらに、このイモリ、いたずらのあと、また拾われてラベンダーの鉛筆箱にしまわれています。
鉛筆はどうしたんだい^^;
鉛筆を出してイモリをしまった、という記述がないので、ラベンダーが授業で鉛筆を使っていて空いていたってことでしょうか?
それともヒルムシロが入っていないので、空間に余裕が?(←そんなところまで普通読まない!)
なお、鉛筆を学校で使っていて、それが個人の持ち物であることは、以下の記述でわかります。
学校には、5歳かそれ以前に入学するきまりで、マチルダは遅れて5歳半になってから入学することになります。
子どもたちみんなの名前を呼ぶ、お決まりの仕事がすんだあと、ミス・ハニーは、それぞれの生徒にまあたらしいノートブックをわたした。
「みんな、自分の鉛筆はもってきたわね」彼女は言った。
「はい、ミス・ハニー」生徒たちはいっせいに答えた。
「そう。きょうは、あなたたちのひとりひとりにとって、学校生活のいちばん最初の日です。(後略)」
(同書 p.94)
このことから、次のようなことが言えると思います。
(考察) 1988年ごろ(あるいはそれ以前)のイギリスの学校文具
・学校入学時の筆記用具は鉛筆を使っていて、それは個人で用意するものだった。
・学童用の「鉛筆箱」が存在した。それは、
・蓋がスライドして開け閉めできるタイプ。
・鉛筆が入るくらいの長さで、あまり長さにゆとりはない?
・「鉛筆箱」は、肩掛けかばん(等?)に入れて持ち歩いた。
・机の中に「鉛筆箱」を置く場所が決まっていた。
もちろんこれは一例であり、すべてのイギリスの学校でこうだったとは言えません。
時代や地域によって変わる可能性はあります。
ただ、このように、鉛筆を持ち歩くための筆箱は学童文具として存在しており、なかったわけではないと言ってよいでしょう。
しかし、これは新しい時代の児童文学であり、それ以前の時代には筆箱はなかったのかもしれません。
また新しい資料が見つかったら、そのあたりの事情も詳しくなっていくと思います。
なお、学校で使う黒板とチョークも重要なアイテムとして登場します。
そのほか、学校生活の最初に出てくる勉強が、国語は「cat」の綴り方だったりするのに、算数は「二倍の掛け算」だったりするので、ずいぶん日本とは違うなあと驚きます。
自分では、今まで、国や年代を考えて物語を読んだ経験がなかっただけに、こうやって読んでいくと、既読の作品でも思わぬ発見がありそうです。
【その他の筆箱事情調査シリーズ】
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